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ヴェネツィア
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水の都ヴェネツィア ★本土からヴェネツィアへ ★サン・マルコ広場 ★ゴンドラ ★ヴェネツィアングラス ヴェネツィア アラカルト
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ヴェネツィア到着・夕食 9月28日(火)
4時間かけてヴェネツィアに到着、夕食はアドリア海のシーフード料理、魚の身がたくさん入ったスープ、小エビのから揚げ、白い粉を練ったような地元の料理、デザートはプリンでした。スープは少し塩が利きすぎていましたが美味しかった。食事中のテレビでイラクでイタリアの人が人質になり、解放されたとかどうとかでウエーターさんがテレビを見ながらサービスをしていました。テレビと言えばイタリアではホテルでテレビを見ることがほとんどありません、と言うより見る暇が無かったと言うほうが正しいのでしょう。ドイツの時は見る時間もあり、サッカーなども見たような記憶があります。今日の食事は早めで、7時ごろから食事がはじまり、ウエーターさんがみんなを笑わせながらサービスをしたりして楽しい食事でした。ホテルは本土、島内に泊まると高いのでと添乗員さんの話。トップ
水の都ヴェネツィア
サン・ジョルジョ・マジョーレ島にあるサン・ジョルジョ・マジョーレ教会世界中でここだけという水の都ヴェネツィアはどのようにして作られたのだろうか、ヴェネツィアは6世紀頃、当時のヴェネト地方が侵入者に襲われたため、住人はラグーナ(潟)のなかの小さな島々へ移り住むことを余儀なくされたのが始まりです。ヴェネツィアの建物の土台は地面を強化するために地中深くにあるカラント層までカラマツ、アカガシワなどの堅い木の杭を無数に打ち込み、その木の杭の上に海水に強いイストリア産の石が置かれその上に建物が建てられているそうです。14世紀には人口は13万人を超える大都市となり、1400年には、内陸部にも勢力を広げました。15世紀が黄金期で、16世紀にはイタリア諸国とヨーロッパ諸国の同盟でヴェネツィアの勢力は弱められ、海上でもエーゲ海やギリシャの領土を失い、ナポレオンに占領されると共和国は終焉を迎え1866年にイタリアに統合されたそうです。ヴェネツィア本島はイタリア本土から4km、海からは2km離れ、イタリア本土とはリベルタ橋でつながっています。118の島が400の橋で結ばれ、160の運河が網の目のように張り巡らされており、人々の交通手段は水上バス、水上タクシー、渡しの為のゴンドラなどで荷物を運ぶ手押し車と乳母車の他、車の付いた乗り物は中世の頃から禁止されているそうです。子供の乗る自転車も一部の地域で許可されているだけだそうです。美しいヴェネツィアにとって最大の悩みは、沈下と高潮の問題です。20世紀以降に70センチも地盤が沈下しており、現在も秋冬の正午頃から1〜2時間、高潮になると海抜の低いサン・マルコ広場周辺は冠水してしまいます。我々も浸水でサン・マルコ寺院へ入る入り口が一つになり、時間がかかるので入場を諦めざるを得ないという被害にあいました。写真は、決して波が高いわけではありません、満ちてくる潮で陸と海の高さがほぼ同じになっている光景です。後方の教会は潮が満ちて海に浮かんでるかのように見える、サン・ジョルジョ・マジョーレ島にあるサン・ジョルジョ・マジョーレ教会です。トップ拡大写真マーク
本土からヴェネツィアへの船の中より  9月29日(水)
9月29日(水)モーニングコール6.00 バゲージダウン6.45 朝食7.00 出発7.30 ヴェネツィアは島なのですが、本土から道路がつながっており、列車もバスも入れます。我々は船で行くとのこと、ホテルを出てすぐに、港につき乗船、貸切で我々しか乗っていない、30分ぐらいでヴェネツィア、サン・ザッカリアに到着、わずかな時間でしたが船の中から見るヴェネツィアは美しく感激でした。
本土の港を出港 朝日を受けてヴェネツィアへ ジュデガ島?付近の景色、珍しく木が茂っていたので撮影
本土の港を出港拡大写真マーク 朝日を受けてヴェネツィアへ拡大写真マーク ジュデガ島?付近の景色、珍しく木が茂っていたので撮影拡大写真マーク
ザッテレ河岸、チエポロの天井画のあるジェスアーティ教会 島内を縦断する大運河が終わるサルーテ岬に建つドームはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会 サン・ザッカリアに到着
ザッテレ河岸、チエポロの天井画のあるジェスアーティ教会拡大写真マーク
島内を縦断する大運河が終わるサルーテ岬に建つドームはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会拡大写真マーク
サン・ザッカリアに到着拡大写真マーク
サン・ジョルジョ・マジョーレ島にあるサン・ジョルジョ・マジョーレ教会
サン・ジョルジョ・マジョーレ島にあるサン・ジョルジョ・マジョーレ教会
ドゥカーレ宮殿と海を隔てて向かい合って建っています。16世紀後半バッラーディオによって建造されました。内陣の壁の両側に飾られた、ティントレットの傑作「最後の晩餐」「マナの収穫」が有名です。海に浮かぶかのように見えるこの教会、鐘楼のテラスに登ると街が一望できるそうですが、今回のツアーではこの島には行きませんでした。
サン・マルコ広場周辺を船上から撮影 水の都ヴェネツィアの海側の玄関にあたるサン・マルコ広場は、9〜19世紀まで続いたヴェネツィア共和国の檜舞台として栄えた、現在の形に整備されたのは14〜16世紀のことで、地中海の覇権を手にし、東方貿易で得た莫大な財が、より豪華で美しい建物を作るために惜しげもなく使われました。 ヴェネツィアの政治、宗教、文化の中心として、サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿など主要な建物が集まるサン・マルコ広場周辺を船上から撮影したものです。
新行政館↑ 大鐘楼↑ サン・マルコ寺院↑ ドゥカーレ宮殿↑
大鐘楼 高さ98mの鐘楼は9世紀末に船だまりの防備と通報を兼ねた見張り台として建てられました。増築を繰り返し16世紀の初めに現在のような形になったのですが、今世紀の初めに突然崩れ落ちてしまいました。幸い寺院への被害もけが人もなく、10年後にもとの形に再建されたものです。塔の先には金色の大天使ガブリエルを型どった風見鶏が付けられています。この大鐘楼にはエレベータで登ることが出来るのですが、我々は時間がなくて登れませんでした。トップ
サン・マルコ広場
@サン・マルコ寺院 9世紀初め二人の商人がアレキサンドリアから持ち帰った聖マルコの遺体を収めるために建てられました。聖マルコは新訳聖書の4つの福音の一つを書いた聖人としても位の高い人で、聖マルコの遺体を得たことでヴェネツィアはビザンチン帝国に依存しない独立した国家としての精神的な基盤を確立することができました。最初の建物は火災で焼け落ち、今残るのは11世紀半ばに建設されたものです。中心の大きなドームを4つのドームで囲むギリシャ十字の構造はビザンチン様式の建築様式です。下層中央アーチの上部には「最後の審判」を描いたモザイク画が、修復を終えて見事によみがえおりました。左右4つのアーチには聖マルコ移送のモザイク画が残されている。厚さ1mmの金箔を挟んだガラス・モザイクは堂内の天井や壁面を覆い尽くしており、美術史的な価値はさておき、経済的には世界で最も高価な教会といえるかも知れないと説明があり、さらに、金が落ちてくるのを待ってもけっして落ちてはこないとガイドさんは言っていました。
A金を使用したモザイク画 下の写真@の一番左のモザイクを近くから撮ったものです。
サン・マルコ寺院正面 金を使用したモザイク画
@↑サン・マルコ寺院正面 A金を使用したモザイク画↑
B時計塔↓ サン・マルコ寺院↓ Cドゥカーレ宮殿↓
Dドゥカーレ宮殿への階段↓
時計塔 サン・マルコ寺院 ドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿への階段
B時計塔 15世紀に建てられたもので、2001年に修復したものです。最上階の翼の生えたライオンと、ブロンズ像は時計と機械仕掛けで連動しており、2体の像は500年もの間、毎時槌を振り上げて時を知らせているそうです。ガイドさんの説明があったような気がしますが、忙しくて近くで写真は撮りませんでした。
Cドゥカーレ宮殿 ヴェネツィア共和国の歴代のドージェ(総督)の住居、政治、司法の中枢だった建物、9世紀に建てられ、その後何度かの改修を経て15世紀に現在の形になったそうです。内部は豪華なヴェネツィア派の画家たちの絵画で飾られており、なかでも2階大評議室の間を飾るティントレットの大作「天国」は必見と言われています。
D宮殿内部の撮影はこの黄金の階段までは可能ですが、以降は禁止、天上は金ピカで豪華、踊り場の網目模様は、階段の上から見ると騙し絵になっていて立体的に見えるそうです。
E溜息の橋 17世紀に造られたドッカーレ宮殿と牢獄を結ぶ橋、宮殿の裁判で有罪になるとこの橋を渡り牢獄へ、彼らが橋の窓から外を眺め嘆き悲しんだことから、この名が付いた。 稀代のプレイボーイ、カサノバもここを渡ったが、彼は脱獄に成功したそうです。
そのカサノヴァを題材にした映画の撮影のため、撮影機材がいたるところにあり、小広場からの写真撮影はうまく出来ませんでした。トップ
溜息の橋
E溜息の橋カサノヴァのロケ風景
カサノヴァのロケ風景
新行政館 コッレール博物館 旧行政館 カフェ ラヴェーナ
F新行政館↑ Gコッレール博物館↑ H旧行政館↑ Iカフェ ラヴェーナ
サン・マルコ寺に向ってコの字に広場を囲む建物は歴史的な建物ですが、カフェ、宝石店、みやげ物店、ギャラリー、両替商、などが軒を連ねております。雑貨を売っている店から高級品を売っている店までさまざまな店が並んでおりショッピングを楽しめます。
F新行政館 旧行政館が手狭になったため、16世紀末に建造が計画され、17世紀半ばに完成しました。設計はヴェネツィアの主要な館を手がけたロンゲーナによるものだそうです。
Gコッレール博物館 広場を囲む建物のうち、海側の新行政館の2、3階にあり、14〜18世紀のヴェネツィアの歴史や風習、ヴェネツィア派絵画を展示する博物館として使われているそうです。
H旧行政館 共和国時代、総督の次席に当たる行政長官の執務室が置かれていた建物で、12世紀に完成したが、その後火災のため焼失、16世紀に再建されたそうです。
Iカフェ ラヴェーナ 1750年創業と、サン・マルコ広場の中では3番目に歴史の古いカフェ、自家製のケーキ、チョコレート、砂糖菓子もあり、量り売りもしている。夏の間は広場にテーブルを広げ、生演奏を聞くことが出来ます。この日も写真のように生演奏をしていました。トップ
ゴンドラ
昼食はイカスミパスタ、デザートはアイスクリームですが、これがスーパーで売っていそうな、プラスチックの容器に入ったものでガッカリ!。フリータイムが少しあり、BARでカプチーノを飲んでみまいした。集合場所はドゥカーレ宮殿前の小広場にある街の象徴、有翼の獅子像の円柱下に集合。少し歩いて乗船場所へ、楽しみにしていたゴンドラにのります。かっては貴族たちの乗り物でしたが、現在はもっぱら観光客のために使われているそうです。6人乗りなので、我が家と構成が同じ群馬の家族と一緒でした。大運河を移動して小さな運河に入りゆっくりと進むゴンドラ、時々船頭さんが舟を揺らしたりして、ふざけながら短いコースを一周してきました。もっといろいろな観光場所があるのだと思いますが、今回は乗ったというだけで満足しました。カンツォーネを歌っている舟もありましたが、これはまた別料金だそうです。その後お客さんがアリランを歌っていましたので韓国のツアーでしょうか。今回のツアーで、東洋系では中国人が目立っていたような気がします。トップ
ゴンドラ乗り場 大運河を行くゴンドラ 運河に架かる橋
ゴンドラ乗り場拡大写真マーク 大運河を行くゴンドラ拡大写真マーク 運河に架かる橋拡大写真マーク
ヴェネツィアングラス
ヴェネツィアングラス職人 現地ガイドピンクの背広を着たガイドさん、サン・マルコ寺院はパスしても何が何でもここには連れて行くぞという感じでこの工房へ、職人さんのデモをみてさあ買いましょうと案内されたが、なにぶんにも高いので、小物を買ってきました。3国同盟で戦ったがアメリカに負けた、今度は勝ちましょうと冗談を言っていた。このガイドさんの雰囲気から、今度はドイツとだけ組みたいような気がしました。トップ ヴェネツィアングラスショーケース
ヴェネツィア アラカルト
現地の各種交通の舟  サン・マルコ広場の浸水画像 浸水時の仮説歩道
中央バキュウム船、右上野菜運搬船、左下タクシー乗り場とタクシー船、右下水上バス、橋の近くはクレー船?、ヴェネツィアでは車の変わりに船をつかいます。
数箇所あるマンホールから水が逆流してひたひたと出てくる。ヴェネツィアではサン・マルコ広場が一番低いらしい。
この台は水が出た時に一列になれべて道を作るための台です。いたるところに置いてあります。サン・マルコ広場にも当然ありました。
街並み 警備のお巡りさん サン・ザッカリアの海岸通り
街の中はこんな感じです。細い道にブランドの店が並んでいたり、レストランがあったりとにぎやかでした。
ロケをしている小広場で警備をしているお巡りさん?イタリアのお巡りさんは地域によりユニホームが違う?ので良く解らない。
我々が到着したサン・ザッカリアの海岸通り、高級ホテル?が並んでいます。トップ

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