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ミラノ
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ミラノ到着 ミラノ ミラノ市内とコモ湖観光スタート スフォルツェスコ城 ドゥオモ ヴィトリオ・エマヌエーレ2世ガレリア  ミラノアラカルト コモ湖 フリータイム
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ミラノ到着

到着時のスフォルツェスコ城ヴェローナを立ったのは夕方、ミラノについたのは20時過ぎ、今日の夕食は中華料理だ。レストランで席が空くのをさらに待たされ、食事を始めたのは9時近く、久しぶりの中華料理で美味しかったが、なにぶんサービスは日本ほど良くない。せっかくの料理も取りざらが一枚しかないので、味が混ざってしまう。若い人たちは久しぶりのご飯に何度もお変わりをして楽そうに食べていました。
ローマを出発してから本日まで我々を乗せて走ってくれた運転手さんも本日でお別れのこと、基本給が14万円しかないと添乗員さんの話、給料体系が解らないのでなんともいえないが安いのではと皆さん思ったようです。お別れに少しですがチップをさし上げました。写真は到着時のスフォルツェスコ城です。
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ミラノ
ミラノ この街は、紀元前4世紀、ケルト人によって開かれ、 その後、ローマ帝国の支配に入り、街の基礎がつくられました。最も、華やかだったのは、13から16世紀の頃。ヴィスコンティ家やその後の スフォルツァ家が領主としてこの地を治め、ルネッサンスが花開しました。今も街の中心であるドゥオモは、この頃にヴィスコンティ家の命によって 建てられています。 「最後の晩餐」をダヴィンチに依頼したのも、後のスフォルツァ家のイル・モーロでした。両家没落のあと、今度はスペインやフランスによって長く支配されることになりました。 ヨーロッパ3大オペラ座といわれる、スカラ座もこの時期に建てられたそうです。1796年、ナポレオンがミラノに入城、ナポレオン失脚後、1866年までミラノはオーストリア帝国の支配下に置かれました。その後1861年イタリア王国建国、ミラノは1866年にイタリア王国に統合されました。現在は、人口140万人のローマに次ぐイタリア第2の都市。ロンバルディア州の州都。都市の面積は小さく、ドゥオーモを中心に半径8キロの範囲で、そこに企業数10万を越す、経営、商業、金融の活動が集中しているそうです。写真資料で、左の塔はスフォルツェルコ城、中央はドゥオモのファサード(正面)、右ヴィトリオ・エマヌエーレ2世ガレリアです。トップ
ミラノ市内とコモ湖観光スタート 9月30日(木)
リパモンティ デュ ホテル&レジデンス9月30日(木)ミラノ市内とコモ湖観光 モーニングコール7.00 バゲージダウン無し 朝食6.45より可 出発8.30 ホテルは2ルーム2ベットですが、ダブルとシングルでした。少し遅く起きて、コンチネンタルスタイルの朝食を食べスタートです。
ミラノ以外でも同じでどこの街に行っても古い建物が多いので、どのような人が住んでいるのかと添乗員さんに聞いたところ、市内に住める人はお金持ちだそうです。当然街並みを保護するため古い建物に住んでいますが、郊外にも家を持っている人が多いのだそうです。さらに市内には駐車ペースも無いので小型車と二輪車が多く、他の町では見かけなかったスーツ姿でスクーターに乗るビジネスマンを見かけました。ちなみに我々が泊まったこのホテルは郊外で、最後の夜はタクシーで30ユーロぐらいだったでしょうか。観光は今日が最後です。幸いにして本日も天気が良くカプリの山の上でほんの一瞬、雨に降られただけです。トップ
スフォルツェスコ城
スフォルツェスコ城 城の堀、当時は水が入っていた 城の外壁(茶色のレンガ)
スフォルツェスコ城拡大写真マーク 城の堀、当時は水が入っていた 城の外壁(茶色のレンガ)
このお城の前でガイドさんと待ち合わせして観光に入ります。イタリアでは添乗員さんが観光の案内をしてはいけないのだそうです。必ず免許を持った現地ガイドとさらに日本語の通訳が付くこともあります。日本語のできない現地ガイドは何もせずそばにいるだけ通訳が説明します。スフォルツェスコ城はドゥオーモ広場から北西にのびるダンテ通りの突き当たりに建つ城で、14世紀にヴィスコンティ家が居城を建て、その後15世紀にスフォルツァ家によって改築され現在の姿となったそうです。城内には考古学博物館と考古美術館があり、美術館にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」や、2階の絵画館にマンティーニャ、ベリーニ、ティントレットなどの絵画が、さらに塔を横切って進むと3階に陶器、衣装、2階に古代楽器などのコレクションが展示されているそうですが、我々は見学できませんでした。城の裏には、センピオーネ公園が広がっており、通りにはインパチェンスの花が咲いていました。トップ
ドゥオモ
ドゥオモ1386年、当時のミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命により、工事が開始され、500年の歳月をかけて完成した奥行き148m、幅91m、高さ109mイタリア・ゴシックの代表的建造物である大聖堂、天に向って伸びる135本の小塔と2245体の彫像で飾られた白大理石の外観の壮麗さは言葉がありません。最も高い小塔は109mあり、その先端には街を守る黄金のマリア像が立っています。設計には膨大な数の建築家がたずさわり、ミラノで活躍した芸術家たちの5世紀にもわたる共同作品と言えます。巨大な内部は美しいステンドグラスに彩られ、荘厳な雰囲気です。地下には宝物庫があり、金銀細工の宝飾品が展示されています。階段かエレベーターで屋上に上がれます。美しい小塔や彫像が光に輝き見るものを圧倒します。高所恐怖症の私も屋上に上りその美しさと壮大さに目を奪われました。本当に人が作ったものか、ここまで出来るのかと思うばかりです。
尚、残念ですが設計案がいろいろあり、最後にナポレオンがゴシック様式での建設を指揮したと言われているドゥオモ正面(ファサード)は修復中で撮影出来ませんでした。
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屋上から見た小塔 屋上から見た小塔 屋上から見た小塔
ドゥオモ内部内部は五廊式でラテン十字の形、三廊式の短い翼廊と、周歩廊をもつ奥行きのある聖堂内陣があります。52本の束ね柱は聖人や予言者の彫像で飾られた堂々たる柱頭で飾られ、身廊と翼廊と後陣に沿ってそびえています。側廊天井が高いので堂内は広々としていますが、高窓が小さいので暗く、写真は明るく写っているが実際にはもっと暗く、彫刻などは良く見えません。暗い中で美しいステンドグラスが各スパンを飾っています。建物の後の方に聖書を題材にしたステンドグラスがあります。右、新約聖書、中央、黙示録、左に旧約聖書の物語が描かれており、14世紀に製作が始まり500年の歳月をかけて完成したそうです。このステンドグラスのある床は、白、黒、赤の大理石で作られた床のモザイク模様が年月が経ち、白い大理石が収縮して(磨り減って)しまったために、床がデコボコしているのが靴のそこから感じられます。トップ拡大写真マーク
祭壇 ステンドグラス ステンドグラス 新約聖書 ステンドグラス 拡大写真  大理石のモザイク模様の床
祭壇 ステンドグラス  新約聖書↑ 拡大写真↑  大理石のモザイク模様の床
ヴィトリオ・エマヌエーレ2世ガレリア
ドゥオーモ広場とスカラ座広場を結ぶ全長200mのガラスの屋根で覆われたアーケード、高級ブティック、カフェ、レストランが建ち並んでいます。建築家ジュゼッペ・メンゴーニの設計により、1865年〜1877年にかけて造られたが第二次世界大戦で破壊され、1946年に再建されました。中央の丸天井には東西南北の美しいモザイク画があり、それぞれアメリカ、アジア(中国)、アフリカ、ヨーロッパの4大大陸が象徴的に描かれているそうです。ミラノコレクションの開催が近いとのことで、アーケードのなかに宣伝用のブースができていました。トップ
アーケード ドゥオモ側入り口 アーケード内 アーケード中央の交差道路側 4大陸をあらわすモザイク画
ドゥオモ側入り口 アーケード内 アーケード中央の交差道路側 4大陸をあらわすモザイク画
ミラノアラカルト
改修工事中のスカラ座 スカラ座広場のレオナルド・ダヴィンチと4人の弟子の像  ドゥオモ広場にあるイタリア初代国王 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像 モザイクの雄牛
改修工事中のスカラ座 スカラ座広場 国王の騎馬像 モザイクの雄牛
世界的に有名なオペラの殿堂だが、外観は砂色をしたネオ・クラシック様式のシンプルなものです。1778年にサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の跡地に建てられたためこの名前で呼ばれているそうです。
スカラ座広場のレオナルド・ダヴィンチと4人の弟子の像 
ドゥオモ広場にあるイタリア初代国王 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像
アーケードの中にある雄牛のモザイク、この雄牛の局部に左足のかかとをつけ、時計と反対まわりに1回転すると、幸せが訪れると言われており、皆さん回っていました。その部分は少しへこんでいるようでした。トップ
コモ湖
昼食はミラノ風カツレツとリゾットです。カツレツもパン粉でなく小麦粉をつけて揚げた、から揚げのようなものでいまひとつです。リゾットは米に芯があり、私には食べられませんでした。食事の後はフリータイム、私たちはオプショナルツアーで「北イタリアの高級リゾート・コモ湖」にいきました。コモ湖はスイスとの国境にあり、ミラノから約1時間ほどで到着します。16世紀から18世紀にかけての別荘建築ブームで、各国の貴族がこぞって別荘をたてたそうで、古くはシーザーやローマ皇帝も保養に訪れたと言われています。現在も王族や富豪、有名人の別荘があるそうです。遊覧船に乗るか、ケーブルカーでブルナーテ山に登る二つの観光コースがありましたが、我々はブルナーテ山にのぼり、素晴らしい景色を楽しみました。山をおりてから、14世紀末に建てられたドゥオモを見学してミラノに戻りました。ここでもジェラードを食べましたが一番少ないのを頼んでも日本と比べると量が多く食べるのに大変でしたが結構美味しかったと思います。この街はシルクが特産とのこと、帰りのバスはシルクの店によショッピングを楽しみました。トップ
コモ湖近くの道路から コモ湖畔 街並み
コモ湖近くの道路から コモ湖畔拡大写真マーク 街並み拡大写真マーク
ケーブルカー山頂駅 ドゥオモ ドゥオモ内部
ケーブルカー山頂駅 ドゥオモ拡大写真マーク 内部
フリータイム
ミラノコレクションコモ湖からもどり、ミラノでバスをおり、完全にフリーになりました。少し街の中を歩き回りドゥオモなども別の角度から写真を撮ることができました。やはりイタリアに来たからにはブランドショップも見て歩きたいと言うことで地図を見ながらブランドショップを訪ね歩き買い物を楽しみました。添乗員さんに焼き栗がうまいと言われ、露店で大きな焼き栗を買い歩きながら食べていると、娘の後ろに近づく二人ずれの男、急いでそばにより睨むと離れていきました。食べるほうに気をとられていたのを見て近寄って来たのかも知れません。
夕食は添乗員さんに教えてもらった日本語メニューのあるレストラン、今までいろいツアーの食事を食べてきましたがいまひとつでしたが、ここで食べてみてイタリアの料理は美味しいと言うことがわかりました。ツアーの料理だけ食べて帰ってしまったのではイタリアの食事はいまひとつという印象になってしまうところでした。食事が終わり、カードで会計をしたところ、なんと二品も我々が注文していない物を明細に入れてサインをときましたが、明細を良くチェックしたため見つかり指摘したところ素直を現金でかえしてきました。気がつかなければそのままで終わりという感じです。ローマでは有名ブランド店で品物は空港で渡すからと言って現金を騙し取ろうとした事件がありました。又、フリータイムの帰りのタクシーでも法外な代金を要求されたグループもありました。こういうところは全く油断ができないようです。多少のトラブルはありましたが、各自何とかフリータイムを楽しんだようです。
写真はヴィトリオ・エマヌエーレ2世ガレリアの中央に設営中のミラノコレクション関連の資生堂ブースだそうです。トップ




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