VIVA ITALIA

フィレンツェ
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デミドフホテル ★ミケランジェロ広場 ★ドゥオモ(ジョットの鐘楼) ★シニョリーア広場周辺 ★ウフイッツィ美術館 フィレンツェからヴェネツィアへ
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フィレンツェ近郊プラトリーノ デミドフホテル 9月28日(火)
デミドフホテルよりの山並み9月28日(火)モーニングコール6.15 バゲージダウン7.15 朝食7.15 出発8.00 昨日は夕食が遅くなり疲れていると判断したのか、少しゆっくりしたスタートになり、ホテルの周りで写真を撮る余裕がありました。デミドフホテルはリゾートホテルのようで、空いているこの時期、格安ツアーのお客を入れているようです。日本旅行のクラスでは確かに上から二番目のSクラス、部屋のつくりや、サービスもそれなりに良かったと思いますが、なにぶんホテルの中にいる時間はほとんど寝ているので、ホテルの良い悪いはあまり関係ありませでした。イタリアのホテルの鍵は開けるタイミングがなかなか難しところが多かったような気がします。鍵を差し込んで廻してもなかなか開かずに部屋に入れない人があちこちでガチャガチャとやっている。どうも日本のホテルとタイミングが違うようです。写真はホテルのベランダからの眺めです。トップ
ミケランジェロ広場からフィレンツェの街並み
ミケランジェロ広場のダヴィデ像(複製)紀元前1世紀、神聖ローマ帝国のジュリアス・シーザーがアルノ川の南に、ラテン語で花の女神-フロレンティアという町を作った。それが今日も「花の都」と呼ばれているフィレンツェの由来だそうでうす。商人が街を治める当時のフィレンツェにおいて、絶大な権力をふるっていたメディチ家は銀行家で、彼らの財力は底知れず、コジモ1世は芸術家たちのパトロンとして、自分たちの住居や教会に贅を凝らした芸術品を残しています。しかしロレンツォの息子ピエロ2世が政治に失敗すると、メディチ家は失脚、その間は修道僧サヴォナローラによる倹約政治が行われました。その後身内からローマ教皇をだしたメディチ家の勢いは再び盛り返ます。しかし1743年にはなんと家系が途絶えてしまうのです。最後の一人であるアンナ・マリア・ルイザは、全財産を国に寄付する代わりに「全ての人が芸術作品を見られるよう、ひとつの場所にとどめおくこと」を条件としました。その言葉が忠実に守られ、今も街にはメディチ家の遺産が残っているのだそうです。
ミケランジェロ広場でも売っていましたが、フィレンツェの街ではあちこちでダンボールで組み立てられるようにした台で画を売っています。なかには日本人もいてこちらに来て苦労しながら画を勉強しているのかと思いましたが、今ひとつ信頼できないので、画は買いませんでした。 「写真左 ミケランジェロ広場のダヴィデ像(複製) 写真下はミケランジェロ広場から見たフィレンツェの街並」トップ
ケランジェロ広場から見たフィレンツェの街並
↑ヴェッキオ橋 ↑ヴェッキオ宮殿 ↑ドゥオモ ↑サンタ・クローチェ教会
ドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)と大聖堂広場
サン・ジョバンニ洗礼堂 11世紀に建てられ、ここでダンテなどが洗礼を受けだそうです。設計者のギベルティは公募によって選ばれた人で設計のほかに北と東の門の彫刻を担当しました。
ドゥオモの正面(ファサード) 一度再建され19世紀に完成した、装飾に使われている緑やピンクは、色大理石を使った天然の色だそうです。
ジョットの鐘楼 1334〜1359の間に建設された鐘楼、最初に設計者ジョットが着工後3年で他界したため、その後2人の建築家が受け継いだ。担当者ごとに構造が異なるのが特徴です。
ドゥオモ 自治国家の象徴として1296年に着工、140年の歳月をかけて完成したもので、建物の奥行きは、153m、ドームの高さは90mもある。建物のデザインを担当したのは公募で選ばれた建築家ブルネッレスキだそうです。
天国の門 ミケランジェロがその美しさに感動して名づけた名前、洗礼堂の東の扉で旧約聖書の物語を題材にした10枚のパネルで構成されています。

左からサン・ジョバンニ洗礼堂、ドゥオモの正面(ファサード)ジョットの鐘楼拡大写真マーク レンガ色の屋根がドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)、ジョットの鐘楼の手前の四角い塔 バルジェッロ国立博物館、左三角の塔 バーディア・フィオレンティーナ教会拡大写真マーク
天国の門
左からサン・ジョバンニ洗礼堂、ドゥオモの正面(ファサード)ジョットの鐘楼 ジョットの鐘楼の手前の塔 バルジェッロ国立博物館、左三角の塔 バーディア・フィオレンティーナ教会 天国の門
ドゥオモ内部 24時間時計
24時間時計
ドーム上の天井に描かれたフレスコ画
ドーム上の天井に描かれたフレスコ画拡大写真マーク
ドゥオモ内部に入ると、十字架を模したした三廊式の構造になっていてます。ドーム上の天井に描かれたフレスコ画は、旧約聖書を題材にした「最後の審判」、ヴァザーリをはじめ多くの芸術家が担当した傑作、正面入り口の上に24時間時計が飾られています。我々は予約をしてきましたが、それでもしばらく待たされました。入場は行列覚悟しておかなくては無理です。トップ
シニョリーア広場周辺
現在も市庁舎として使われているヴェッキオ宮殿と重要な集会の場であったシニョリーア広場、ルネッサンス期の絵画芸術の最高傑作を集めたウフィツィ美術館、ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)この一体は、昔も今もフィレンツェの政治商業の中心です。ヴェッキオ宮殿は残念ですが工事中のため写真は足場が組まれたものになってしまいました。
ヴェッキオ宮殿 ヴェッキオ宮殿 シニョリーア広場
ヴェッキオ宮殿 シニョリーア広場
アルノルフォ・ディ・カンビオ設計による宮殿、高さ94mの鐘楼を持つゴシック建築。
左側ダヴィデ像、右ヘラクレスとカクス群像
左側コジモ1世の騎馬像、右側ネプチューンの噴水
ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)
ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)
ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)14世紀半ばにアルノ川に架けられた最古の橋、かっては肉屋などが並んでいたが、フェルディナンド1世が異臭を嫌って店を撤去させ、金細工師が集められ、現在も橋の両側には貴金属、宝石店が並んでいるそうです。残念ですが我々は遠くから眺めただけで、橋の近くまで行っていません。トップ
ウフイッツィ美術館
ウフイッツィ美術館ルネッサンスの名作が勢ぞろい、花の都フィレンツェの美の殿堂と言われるウフイッツィ美術館を駆け足で見学しました。メディチ家をはじめとしたフィレンツェ商人たちの栄華を垣間見ることが出来ます。建物自体は1560年にメディチ家コジモ1世が行政と司法の機関として建設したもので建物全体はコの字の形に作られています。美術館としてはコジモ1世の息子フランチェスコ1世から始まった美術品の収集によりコレクションが形成され、メディチ家以外の商人たちが集めた美術品も加わり、既に1765年には美術館として開館、現在では、ラファイロやミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチといったルネッサンスの3大巨匠をはじめ、13世紀から18世紀の絵画を中心としたコレクションを所蔵、展示しています。残念ですが写真撮影は禁止のため写真は資料から引用したものです。時間が無いのでガイドさんが有名なものだけを見せてくれました。「ヴィーナスの誕生」は教科書などで何度も見ておりますので、実物を見ることが出来、感激しました。
ヴィーナスの誕生 春(プリマヴェーラ) ウルビーノのヴィーナス
ヴィーナスの誕生拡大写真マーク 春(プリマヴェーラ)拡大写真マーク ウルビーノのヴィーナス拡大写真マーク
サンドロ・ポッティチェッリ サンドロ・ポッティチェッリ ティツィアーノ
海の泡から生まれたギリシャ神話の美の女神、ヴィーナスの誕生を描いたもの、画面左にいる翼の生えた風の精ゼフュロスがヴィーナスの乗った貝を陸地へ押し、右にいる女神ホーラがヴィーナスに衣を差し出している。
1482年ごろの作品、中央にはヴィーナスが立ち、左には三美神、さらに画面右から風の精ゼフュロスと結婚した妖精クロシス、彼女が姿を変えた花の女神フローラが描かれて、春の訪れを表現している。
1538年に描かれた作品、右手に愛のシンボルであるバラを持った全裸の女性がベッドに横たわる姿が描かれている。その足下には忠誠を表す眠る子犬、さらに窓辺にも愛のシンボル、ミルトの木が置かれている。トップ
フィレンツェからヴェネツィアへ(イタリア交通事情)
お昼はトスカーナ料理、前菜はパスタ、メインは豚足を輪切りにしたものを長時間煮たものでまあまあの味でした。今回のツアーでの移動の手段は圧倒的にバスが多く、イタリアの高速道路を良く走りました。高速道路で渋滞にあった記憶が無いのでスムーズに流れていたのだろうと思います。また日本で言うサービスエリアであるアウト・グリルは日本の高速道路並みには無いので、停まったら必ずトイレに行くようにしていました。走行については乗用車(高速車両?)は1車線大型車両は2車線を走っており我々のバスも追い越しをする時以外はこのルールを守っていました。市内ではもっとも混雑が激しいと言われているのがナポリ、運転マナーもあまりよくないので、イタリアの他の地域の運転手はナポリでは運転したがらないと添乗員さんがいていました。他に事情があったとは思いますが、我々のバスもナポリ市内観光は地元のバスを使いました。イタリアでは道を横断する時も躊躇してはいけないそうで、わたると決めたら運転手のほうをみて毅然と渡れば車の方が停まると言われました。うろうろしていると車は停まってくれないそうです。40人の団体が列をなして道を渡ると停まっている車も、さすがに痺れをきらしていました。
高速道路 アウト・グリルのガソリンスタンド インターチェンジの標識 E70 A4号線 ミラノ、ヴェネツィア方面へ
高速道路、大型車両は2車線目を走っています。1車線のスピードは大変早いと感じました
アウト・グリルのガソリンスタンド、売店では結構美味しいパニーニを売っています。
インターチェンジの標識 E70 A4号線 ミラノ、ヴェネツィア方面へ
テレバス(日本名ETC) 赤丸に80、100とあるのは、この車両のその地域での最高走行速度を示す。 観光税の支払い
テレバス(日本名ETC)イタリアでは全ての車両に標準装備されているそうです。
赤丸に80、100とあるのは、この車両のその地域での最高走行速度を示す。
イタリアでは観光税を取る地域があり、支払わないと観光できないので運転手さんと添乗員さんが支払いをしている。トップ


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