VIVA ITALIA

ローマ
旅立ち 矢印 カプリ ポンペイ ナポリ ピサ フィレンツェ ヴェネツィア ヴェローナ ミラノ 帰国 イタリアトップ HOME 日程
 バチカン市国 ★バチカン美術館 システィーナ礼拝堂 サン・ピエトロ大聖堂 コロッセオ トレビノ泉スペイン広場
マークの写真をクリックすると拡大写真を表示拡大写真マーク

 バチカン市国 9月25日(土)                     
バチカン市国入場のための行列バチカン市国入場門9月25日(土) ローマ市内観光  モーニングコール6.00朝食6.30 出発7.20、高い壁の周りを大勢の人が並んでいる、そのそばを通りながら何をしているのかと聞いたら、バチカン市国に入国するために並んでいるのだそうです。他人事かと思ったら我々も最後尾に並んだ?、そうか今日はバチカンの見学だ。今回の旅行内容はほとんど勉強していません、家族と添乗員さんまかせです。添乗員さん、今日はラッキーでーす!1時間程度で入国できます。混んでいるときは3時間待ちも珍しくないとの話です。
外務省の資料によると「バチカンとは、法王を国家元首とする独立国家たるバチカン市国と、法王を首長として世界のカトリック教会を支配する法王聖座の聖俗両面の総称?とされている、人口827人(2002年5月現在)、面積0.44km2(日本の皇居は1.15km2)」とのことです。左側写真の高い壁は国境、右側の写真の入り口が入国するための門です。この門から入り、入
国のためには空港にあるような機械で手荷物検査を受けてから入国します。大きな荷物は持って入れません。トップ
 バチカン美術館
ヴァチカン市国の北側、膨大な展示数と広さを誇る博物館。16世紀初め、ユリウス2世がべルヴェデーレ宮殿の中庭にアポロの像を設置したことがきっかけとなり、歴代の教皇たちがイタリアの美術品を収集。貴重な作品たちが海外へ流出することを防ぎ、同時にたくさんの人がイタリアの美術を鑑賞できるようにと博物館が設立された。ミケランジェロの大作「最後の審判」のあるシスティーナ礼拝堂、ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ティッツィアーノなどイタリアを代表する絵画作品を所蔵する絵画館、ギリシア・ローマ時代の彫刻を集めたピオ・クレメンティーノ美術館、地図のギャラリーなど、実に百を超える博物館、美術館、宮殿からなっている。全部見るには1週間は必要、我々は3時間程度しか時間が無く、早足でほんの一部を見学することが出来ました。

ピーニャ(松ぼっくり)の中庭 ラオコーン 地図のギャラリー
ピーニャ(松ぼっくり)の中庭拡大写真マーク ラオコーン拡大写真マーク 地図のギャラリー,
指定の場所の拡大写真を表示 拡大写真マーク
有名な螺旋階段は時間がおしいので使用せずエレベータで上がると、緑の芝生が美しいピーニャの中庭にでました。ピーニャとは松ぼっくりの意味で、巨大なブロンズの松ぼっくりがミケランジェロのデザインしたベルヴェデーレの階段の下に置かれています。古代ローマ帝国時代の1、2世紀頃には噴水だったという、8世紀頃から当時のサン・ピエトロ大聖堂の前庭に飾られていたのをlここに移したらしい。右端の丸い金属の玉は何を表しているのか解らず、ガイドいわく、あまり評判が良くないそうです。
1506年にエスクシリーノの丘で発掘された古代ローマの彫刻。木馬に兵士をかくして、トロイを攻めた「トロイの木馬」にまつわる彫刻です。ラオコーンは木馬を城内に運び込むことに反対した、その時海から二匹の大蛇が姿を現し、ラオコーンと二人の息子たちを絞め殺してしまった。彫刻は、苦しむラオコーンと息子達を表現しているそうです。
燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリーを見てシスティナ礼拝堂に向う廊下の天井です。入り口の法王の紋章や天井がきれいにライトアップされていて大変きれいです。この天井画のストゥッコとフレスコによる装飾はマニエリスム趣味の典型でチャーザレ・ネッビアとジロラモ・ムツィアーノが指揮する芸術家グループによって1583年完成しました。壁面にはグレゴリウス13世が1580年から83年にかけて描かせた40の地図がかかっています。これはイタリア全土と教会領地を示すものだそうです。

燭台のギャラリー 床にか書かれたモザイク画 タペストのギャラリーの天井画
燭台のギャラリー 床にか書かれたモザイク画 タペストのギャラリーの天井画

18世紀に作られたこのギャラリーには大きな2つの燭台があり、大理石の円柱とアーチが美しいギャラリーです。両側には小さな彫刻がたくさん置かれています。

天井や彫刻を見ていると、見落としてしまいますが、床にもモザイクによる、たくさんの絵が画かれています。 タペストのギャラリーの天井に書かれた画です。ちょっと見ると彫刻のように見えますが部屋の暗さを利用して画に影をつけて、彫刻に見えるようにしてあるのだそうです。確かにこの部屋は暗くて、シャッター速度は1/6秒で撮っています。トップ
 システィーナ礼拝堂
シクストゥス4世により1477年から80年にかけて建てられた礼拝堂です。その後、ユリウス2世、パウルス3世の命を受けてミケランジェロがフレスコ画を製作したことで、最も有名な礼拝堂になりました。現在でも教皇の選挙など、ヴァチカンの重要な儀式が行われる神聖な場所です。残念ですがこの建物の中での写真撮影とガイドの案内は禁じられており内部の写真は資料より引用したものです。ガイドさんはピーニャの広場に置かれた案内板を利用して説明してくれました。なかに入った感想は、全ての壁や天井に画が描かれており、天井が高い部屋で、画を見せるためか全体が暗く、混雑しておりゆっくり見ている気にもならず、時間もあまり無かったので早々に外に出ました。中の画は、礼拝堂正面に向かい左側にギルランダイオからルネッサンス画家による「モーゼの生涯」、右壁に「キリストの一生」が描かれています。天井にはミケランジェロによる天地創造と人間の歴史が描かれています。最後の審判は、聖母を除くかなりの人物が、描かれた当初、一糸まとわぬ全裸で描かれていました。しかし、これを神を汚すものだと批判する声にキリスト、ペテロ、洗礼者ヨハネなどの局部腰布を描き加え、このあとも次々と描き加えられたのだそうです。トップ
システィーナ礼拝堂 ミケランジェロの最後の審判 礼拝堂内部
説明をするガイドさん、ガイドさんに「この国の収入は」と聞いたら、入場料と信者の寄付だそうです。
ミケランジェロの「最後の審判」、中央で手を上げてるキリスト、その左、聖母マリア
礼拝堂内部、天井画「天地創造」と祭壇画「最後の審判」
 サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂 大聖堂内部 ピエタ
サン・ピエトロ大聖堂拡大写真マーク 大聖堂内部 ピエタ拡大写真マーク
巨匠たちが建設したカトリック教徒の総本山、ヴァチカン市国のシンボル。4世紀、聖ペテロが処刑された場所の上にコンスタンティメス帝が建設し、その後16世紀に再建。新しい教会の設計はプラマンテからミケランジェロ、ベルニーニと引き継がれ、ベルニーニが柱廊に囲まれた広場を追加設計して現在の姿になったそうです。ドームの下には教皇の祭壇があり、ブロンズの大天蓋で覆われており、パロック彫刻を代表する傑作だそうです。大天蓋の真上のクーポラにはエレベータと急勾配の階段で昇ることが出来るそうですが、時間が無く昇れませんでした。
聖堂内の一番手前の礼拝堂には、この大聖堂でもっとも有名な作品、ミケランジェロのピエタ像があります。この大理石像は1499年から1500年にかけて制作されたので、ミケランジェロ23歳のときの傑作と言われています。イエスは33歳で死んだのに、このマリアは若過ぎると批判されたミケランジェロは「汚れ無き者は永遠に若く美しいのだ」と答えたそうです。トップ
 コロッセオ
コロッセオ早朝からの見学で腰が少し痛くなたところで、お昼の時間になりボンゴレビアンコを食べました。イタリアに来てツアーで出たスパゲティーでは一番好みにあったもので美味しかった。昼食の後はコロッセオを見学です。ヴェスパシアヌス帝が紀元72年に着工10年の歳月をかけて完成した、4階建ての円形競技場で、剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣との生死をかけた試合がここで行われ、一度に5万人もの見物客が試合を楽しみ、暑い日や雨の日にはロープを使い天蓋を張っていたそうです。床は砂が敷き詰めてあり、血が出てもすぐに吸い込まれ悲惨さが出ないよう工夫にされていたようです。ちなみに日本の歴史では、弥生時代にこれほど大きな建物を作っていたことにおどろきますと添乗員さんの説明がありました。写真左下の凱旋門ははコンスタティヌス帝がマクセンティウス帝と戦って勝利した記念として、315年に建てられた「コンスタンティヌスの凱旋門」です。この広場には剣闘士の姿をした人がいて、写真を撮らせてくれるのですが、法外な料金を取られたり、チップを要求されたりするするので気おつけてとの注意がありました。トップ拡大写真マーク
 トレビノ泉
トレビノ泉イタリアの見学ではバスは決められた場所にしか停められない、見学する場所が遠ければ歩いていかなくてはなりません。添乗員さんも慣れた道で歩くのは早い、40人の最後尾のほうは、よほど注意して歩かないと迷子になります。そのため、伝言ゲームのように後ろに右にまがります、左に曲がりますと伝えながら歩くこともありしました。トレビノ泉にいく場合もその方法でした。この泉はおどろくほど街中にあり、こんな所にあるのかというような場所です。1762年クレメンティウス13世の依頼で建設されたもので、ニコラ・サルヴィにより設計されたものです。泉の向こうは「ポーリ候宮殿」の壁の一部だそうで、その全面にギリシャ神話の海神ネプチューンをテーマとする見事な彫刻が施されています。後ろ向きになりコインを投げると再びローマに来ることが出来ると言う伝説で知られており、ローマの休日でアン女王が投げたことで有名になりました。最近では「1枚投げると再びローマを訪れる、2枚投げると結婚できる、3枚投げると離婚ができる」と言われているそうです。我が家でも一人、混雑を掻き分けてコンを2枚投げてきました。「ここの水は飲めます」添乗員さんに言われ水道の蛇口から出ている水をペットボトルに入れて飲みました。1ユーロぐらい得したかな!?トップ拡大写真マーク
 スペイン広場 
スペイン広場の階段 バルカッチャの噴水 スペイン広場周辺の街並み
トレビノ泉からまた歩いて、「スペイン広場」にきました。ここも映画「ローマの休日」に出てきた有名なところです。17世紀ここにスペイン大使館があったのが「スペイン広場」の名前の由来だそうです。階段は135段もあるそうですが、なにしろすごい人で、階段が見えずに人が階段状に人が並んでいるようです。その上に見える二つの鐘楼の並ぶ教会はフランス国王ルイ12世の命により1585年に完成した、「トリニタ・デイ・モンティ教会」です。階段で赤い旗を持った人は先ほどデモで気勢をあげていた人たちで、この時期イタリアではストやデモが多かったようです。階段の手前にある「バルカッチャの噴水」はテヴェレ川でワインの運搬に使われていた老いぼれ船(バルカッチャ)をかたちどったもので、イタリア・バロックを代表する彫刻・建築家ペルニーニの父、ピエトロによって17世紀に造られたそうです。土曜日の夕方のためか人が多く、イタリアの若い女性はスカートを履かないようで、おへそを出したジーンズをはいて歩いていました。夕食はカンツォーネを聴きながらイタリア料理を楽しみました。トップ

地図のギャラリー 地図のギャラリー 地図のギャラリー 地図のギャラリー
旅立ち 矢印 カプリ ポンペイ ナポリ ピサ フィレンツェ ヴェネツィア ヴェローナ ミラノ 帰国 イタリアトップ HOME 日程