エジプト・トルコ13日間の旅 トロイ・アイワルク
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イスタンブールからトロイへ
トルコの風景
トルコの地図国民のほとんどがイスラーム教徒であるトルコは中東国のイメージがありますが、実は国の大部分がヨーロッパに一番近いアジアの大地・アナトリア(小アジア)に位置します。近隣諸国はギリシャ、ブルガリア、グルジア、アルメニア、イラン、イラクで、北は黒海、西はエーゲ海、南は地中海に囲まれています。スポーツなどの国際大会などではヨーロッパグループとして参加するトルコですが、念願のEU加盟にはまだまだ時間がかかりそうです。
本日はイスタンブールを7時半に出発、約345kmを6時間半かけてトロイに向かいます。イスタンブールを出発すると見渡す限りの農地が道路わきに見えますエジプトの乾燥しきった大地とは全く違った国です。ダータネルス海峡をフェリーで渡りエーゲ海沿いに走りトロイに到着します。トロイを見学後にアイワルクのホテルまでさらに150km、約2時間半の旅が控えています。この間今回のガイドナジさんがトルコ事情からサッカー情報、日本の秋葉原テロ事件の情報などを殆ど休むことなく話し、飽きさせる事がありませんでした。「写真右今回のルートを地図にて説明」
今回走った道路は殆ど一般道 ダータネルス海峡をフェリーで横断 道端でチェリーを買う
今回走った道路は殆ど一般道 ダータネルス海峡をフェリーで横断 道端でチェリーを買う
トロイ
トロイの入り口にある木馬トロイは紀元前3000年から紀元400年までの間、繁栄、衰退を繰り返しました。その軌跡を今に伝える遺跡は9層になっていて、入り口には巨大な木馬が再現されています。第6市時代の城壁に囲まれた内部にはアレキサンダー大王ゆかりのアテネ神殿(弟9市時代)などがあります。この遺跡はギリシャの叙事詩「イーリアス」(トロイの木馬)として書かれた伝説絵巻を事実と信じて発掘を開始したドイツのハインリッヒ・シュリーマンにより1870年代に発掘されました。この遺跡は絶大な知名度とは逆に実際の遺跡は「草の中に石が転がっているただの丘」という印象で、保存状態が良ありません。また、発掘された遺跡の多くは発掘者と作業をした地元の人たちの手になり10分の1程度が現在世に出ているというのが定説ですとガイドのナジさんの説明でした。「写真 トロイの入り口にある木馬」
一層から9層になる遺跡の説明図 劇場跡 生贄を捧げた祭壇
写真拡大マーク1層から9層になる遺跡の説明図 劇場跡 生贄を捧げた祭壇
アイワルク
エーゲ海の朝日
エーゲ海の朝日
ハリッチ パークホテル オリーブ畑 ドライブインで飲んだチャイ
ハリッチ パークホテル オリーブ畑 ドライブインで飲んだチャイ
トロイの遺跡見学を終わり185km、3時間かけてアイワルクに到着、とにかく移動距離がながい、今日は殆どバスの中にいた感じである。6月10日、本日も長時間の移動になる、エーゲ海と田園風景を見ながら250km、4時間かけてエフェスへ向かう。ドライブインで添乗員さんもガイドさんも運転手さんもチャイを飲のんでいる、私もお腹が心配だがチャイをのんでのんびりと過ごす。バスは2時間おきにトイレ休憩をとる、トルコのトイレ事情は悪くない、結構掃除はいきとどいており、また栓をひねると日本のウォシュレットの様に暖かいお湯ではないがお尻に水がかかるようになっていますので左手でお知りを洗うことが出来ます。腹の調子が悪く、何度もトイレを使う我々にとってはお尻が痛くならずに済み助かりました。よく外国(インド?)では左手は不浄の手であり、左手で頭をなぜてはいけないといいますがこういったことがあるからかもしれません?!!。このバスだけかも知れませんが、時間も正確で、2時間後というとおおむね2時間後にはトイレ休憩があります。少し遅れたこともありましたが、それはエマジェンシーストップ(緊急トイレストップ)が入るとその時間が遅れになるようでした。考えてみると高速道路ではありませんが殆ど渋滞も無く、信号も街中でしかありませんので時間をまもり安いのかも知れません。
エフェス
聖母マリアの家エフェスは紀元前1500年から1000年の間にイオニア人の定住によって始まったと推測されています。紀元前7世紀にエフェスはキンメリア人に征服され、アルテミス寺院など多くの建物が破壊されてしまいました。この時代以降、エフェスは多くの暴君や独裁者によって支配され破壊と修復が繰り返されました。紀元後17年の地震によってエフェスは完全に破壊されてしまいました。その後ティベリウス大帝の時代に修築され、ハドリアヌス大帝によって様々な寺院などが建造されました。この新しい建物によって、エフェスはヘレニズムの特徴を失い、ローマ帝国の建築スタイルを持つようになりました。キリスト教が布教されるころになると、エフェスは政治上だけでなくキリスト教上の重要性も持つようにりました。聖母マリアは晩年をエフェスで過ごしたといわれています。「写真右」聖母マリアの家最近この丘から火災が発生し近くまで燃え広がりましたが、かろうじて聖母マリアの家は燃えずに残ったということで話題になっているそうです。
アルカディア通り ケルスス図書館 図書館の彫刻
写真拡大マークアルカディア通り 写真拡大マークケルスス図書館 写真拡大マーク図書館の彫刻
港の浴場から円形劇場までの道はアルカディア通りと呼ばれ、当時街道の両側には店舗が並び、その長さは530メートルもあったそうです。
12万冊の蔵書を誇ったといわれるケルススの図書館、アレキサンドリアベルガモの図書館と並ぶかつての世界三大図書館の一つ、見上げるといたるところに彫刻が施され、くちて尚そのすばらしさに圧倒されます。
マーブルストリート(大理石通り) 勝利の女神 ヘラクレスの門
写真拡大マークマーブルストリート(大理石通り) 勝利の女神 ヘラクレスの門
大理石で作られた大通り、下水管の設備や、娼婦の館の広告などもここにあります。両側には太い柱や遺跡があり昔をしのばせます。
勝利の女神ニケ。ドミティアヌス帝広場の遺跡の中から発掘されました。「ニケ」は英字で書けば「NIKE」であり、「ナイキ」の名前のルーツだと言われ、右手下の流線型のラインを参考にナイキのマークがデザインされた言われてています。
この石柱に、ライオンの毛皮をまとったヘラクレスのレリーフがあることから、ヘラクレスの門と呼ばれています。当時はこの石柱の上に勝利の女神のニケのレリーフが置かれていたと言われています。   
公衆トイレ オデオン(音楽堂) ハドリアヌス神殿の門
公衆トイレ オデオン(音楽堂) ハドリアヌス神殿の門
1世紀に作られたという公衆トイレ手前に水路があり、おしりを洗うなど衛生的であったことが伺えます。 1400人収容でき、上部が屋根で覆われていたそうです。議事堂としても使われていたようです。 裕福な市民クインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上した神殿で、美しく繊細な装飾を施されています。
トラヤヌスの泉 アルテミス神殿 聖ヨハネ教会とアヤルスク城砦
トラヤヌスの泉 アルテミス神殿 写真拡大マーク聖ヨハネ教会とアヤルスク城砦
セミトラヤヌス帝に献上された泉。
遺跡の円柱で鳴いていたセミ、何故かエゾゼミと同じようにさかさまで鳴いていました。
紀元前7世紀から120年かけて建築されたというアルテミス神殿跡、高さ19b、直径1.2bの円柱127本のうちわずか1本が残っているのみ。円柱の上には鳥の巣があり、栄華を誇った文明もいまや草むす荒地にすぎない。
手前は聖ヨハネ教会、奥は1375年トルコ人によって建てられたモスクを囲むアヤルスク城砦。見学を終わり歩いていると小学生に会った、ジャパニーズと言うのでイエスと言うとナカタ、ナカムラと言ってきた、小学生でも彼らは有名なのだ!!。

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