エジプト・トルコ13日間の旅 イスタンブール
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トルコ・イスタンブール、ボスポラス海峡
トプカプ宮殿から見たボスポラス海峡
トプカプ宮殿から見たボスポラス海峡
イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市です。その中心を貫くボスポラス海峡は、黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいます。イスタンブールは、かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都でした。エジプトからトルコに入ると緑が多く街が綺麗で文字もアラビア文字ではなくローマ字で書かれておりなんとなく精神的にホッとした記憶があります。街はヨーロッパ風でイスラム色はあまり見られません。
金角湾の橋 早朝のイスタンブールホテルから撮影 イスタンブールの路面電車
写真拡大マーク金角湾の橋、釣りをしている人が多い、遠くにブルーモスクが見える
写真拡大マークユーロプラザホテルから早朝のイスタンブール市内と金角湾
写真拡大マークイスタンブール市内の路面電車
トプカプ宮殿
表敬の門、宮殿の入り口 第二庭園 宮廷の調理棟
表敬の門、宮殿の入り口 第二庭園 宮廷の調理棟
幸福の門 宮殿の建物 当時の食事風景
幸福の門 宮殿の建物 当時の食事風景
ボスポラス海峡、金角湾とマルマラ海に面して、15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であったトプカプ宮殿があります。第二庭園の右側、煙突の見える建物はかつての宮廷の調理棟で、現在は帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクションの展示館となっています。第二の庭の正面奥には幸福の門とよばれる門があり、その奥にある謁見の間と呼ばれる建造物を中心とする第三の庭園とそれを取り巻く施設群が内廷を構成しています。内廷には君主の私室や、現在は有名なトプカプの短剣が展示されている宝物庫がありますが写真撮影は禁止で掲載できません。左側は、スルタンの多くの妻たち、そしてその子供たちが暮らした部屋が残るハーレムですが今回は見学できませんでした。
モスク(ブルーモスク、アヤ・ソフィア)
スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)
スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)

スルタンアフメト・モスクはトルコイスタンブールを代表するモスクで、世界文化遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつです。オスマン帝国の第14代スルタンアフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造されました。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーもすくとも呼ばれています。アンカラから夜行列車でイスタンブールに到着、そのままバスで駆けつけたのでまだ9時ごろ、入場はまたされませんでしたがすぐに長い列が出来ておりさすが人気のモスクです。内部は大きすぎて写真を撮るには不向きな建物です。

青い装飾タイル ドームの天井 ジュウタン
青い装飾タイル ドームの天井 ジュウタン
モスク内部 身体を清める設備 入り口、靴を脱ぎ裸足で入場
写真拡大マークモスク内部 身体を清める設備 入り口、靴を脱ぎ裸足で入場
アヤ・ソフィア
アヤ・ソフィア
キリスト教大聖堂としてコンスタンティウス2世によって360年に建てられたましたが、404年と532年に焼失した後、ユスティニアヌスによって再建され537年に完成しました。1453年にコンスタンティノープルが陥落した後、アヤソフィアはモスクへと転用され、概観は維持されたものの、モザイク画などは漆喰などで塗りつぶされました。アヤ・ソフィアは現在博物館として使用されており、塗りつぶされたモザイク画も復元され2階のギャレリーで見ることができるそうです。私たちはこの建物は外からの見学となりましたので内部の写真はありません。

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