エジプト・トルコ13日間の旅 カッパドキア
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カッパドキア
コンヤのホテルは旧ヒルトンコンヤをロシア資本が買収した「リクソス」というホテルで街から遠く離れた野原の中に28階建てのビルが建っています。ガイドのナジさん、今回のツアーでは最高のホテルと言う?、朝7時半にホテルを出発シルクロードをひたすら走り230km 3時間をかけてカッパドキアへ、途中キャラバンサライ(隊商宿)に立ち寄る。着後洞窟レストランで昼食、魚の塩焼、久しぶりに残さずいただく。
アナトリア高原の中心にあるギョレメ地方は、かつてこの地にあった王国の名にちなんでカッパドキアと呼ばれるようになりました。カッパドキアは約3000万年前に周辺にある3つの火山(エルジエス、ハサン、メレンディズ)が爆発、ユルギュップ高原は火山灰や泥に覆われ、火山灰は時がたつにつれ柔らかい凝灰岩となり、侵食を重ねるうちにぺリバジャラル(妖精の煙突)と呼ばれる奇岩群や様々な形をした谷が形成されたのだそうです。2日間にわたりこの奇岩地帯を見学しましたが、歴史的な価値や珍しい形の岩は一見の価値がありますが、奇岩自体は一度見ればどれもみな同じで若干食傷気味になったのは私だけでしょうか。
カッパドキアへ キャラバンサライ(隊商宿) キャラバンサライ(隊商宿)
カッパドキアへ キャラバンサライ(隊商宿)
シルクロードをカッパドキアに向けひたすら走る、信号はありません。
キャラバンサライとは、10世紀頃にトルコに建てられた隊商宿のことです。隊を組んで長い旅を続けていた商人達(キャラバン)にとって、周辺に何もないところに建てられた宿は宮殿(サライ)のように大きく立派な建物としての印象を受けたことから、キャラバンサライと呼ばれるようになたそうです。
ギョレメ国立公園と奇岩群
ギョレメ国立公園奇岩群 ギョレメ国立公園奇岩群 ギョレメ国立公園奇岩群
このような奇岩がいたるところにあります。名前がついた奇岩もあるようですが良くわかりません。ガイドさんから「いつ落ちてくるかわからないのであまり近くに行かないように」注意をうけ見学しました。どれも同じように見えて感激も最初だけでした。この岩もいずれは崩れてなくなってしまうのだそうですが、山側では新たな侵食が始まっており新しい奇岩が生まれてくるのだそうです。写真拡大マーク
ギョレメ国立公園奇岩群 ギョレメ国立公園奇岩群 ギョレメ国立公園奇岩群
カイマルク地下都市
1964年に発見された地下8階の巨大地下都市、イスラム教徒の迫害から逃れるためキリスト教徒が作り上げたもので、なかには居室、キッチン、教会、学校もあり通路で結ばれています。約1万5千人の人が地上と同じように生活できたと推定されています。ガイドの説明ではこのなかでずっと生活していたわけではなく非難場所として活用していたようです。とにかく人一人が通れる通路しかなく迷路のようになっているのでこの時代の人でも迷子になってしまうのではとの質問に家族は部屋におり専門の人たちが食事やその他必要なことをしてあげるようなシステムが出来上がっていたのではないかとの説明でした。私たちには一日でもこんな地下で生活するということは考えられず、命と引き換えにこの地下で生活をしたのであろうキリスト教の苦難の生活を推測すると同時に信仰の深さに驚くばかりです。
地下への入り口 通路 礼拝所?
地下への入り口 通路 礼拝所?
ギョレメ野外博物館
このあたりには4世紀頃からキリスト教徒が住みはじめ、岩の中に数多くの洞窟教会を造って、信仰を守り続けました。11世紀に建てられたエルマル・キリセ(リンゴの教会)、ユランル・キリセ(蛇の教会)、カランルク・キリセ(暗闘の教会)んど11世紀に建てられた教会は保存状態がよく、内部装飾はみごとと言われています。今回はユランル・キリセ(蛇の教会)、カランルク・キリセ(暗闇の教会)に入りました。キリスト像、受胎告知、洗礼、最期の晩餐などフラスコ画が残されていましたが撮影は禁止でした。 見学は小さな梯子のような階段を上がったり、狭いがけのような道を通ったりと大変でした。
入り口付近 高台からの風景 教会(カラルック?)
写真拡大マーク入り口付近 写真拡大マーク高台からの風景 写真拡大マーク教会(カラルック?)
教会・住居? 教会の内部、食堂? 教会内部、礼拝堂?
写真拡大マーク教会・住居? 写真拡大マーク教会の内部、食堂? 写真拡大マーク教会内部、礼拝堂?
ゼルベ野外博物館・他奇岩風景
カッパドキアを代表する奇岩地域、古くからキリスト教徒の修道士たちが住み、ウズムル・キリセ(ぶどうの教会)など初期キリスト教時代の教会があります。キリスト教徒が去ったあともトルコ人が住みついて、以前は洞窟住居を使っていましたが、今は野外博物館になっています。この谷には花があちこちに咲いていました。しかし岩は風化してもろくなり今にも崩れ落ちそうな場所がたくさんあり花の美しさとは対照的に危険な感じのする場所でした。
セルベの谷 セルベの谷 セルベの谷
写真拡大マークセルベの谷
ウチヒサール 奇岩地帯の風景 トゥズ湖
写真拡大マークウチヒサール 写真拡大マーク奇岩地帯の風景 トゥズ湖

ウチヒサールは3つの要塞を意味する言葉、ヒッタイトの時代から要塞として使われてきました。この絵では見えませんが岩に小さな穴がたくさんあいています。これは糞を集めて肥料にするための鳩小屋です。

昼食をしたホテルのベランダから撮影した写真です。カッパドキア地方はバスで走っていると奇岩や広大な岩山が何処からでも見られます。
カッパドキアからアンカラに向かう途中にあるトゥズ湖は、広大な塩の湖です。なぜこんなところに塩の湖があるのかというと、紀元前1500年ごろまではカッパドキア周辺が内海だったためだそうです。
カッパドキアその他
お昼を食べた洞窟レストラン ジュウタン工場見学 土産やさん
お昼を食べた洞窟レストラン ジュウタン工場見学 土産やさん
ナイトクラブに向かうバスにて夕日を写す。 民族舞踊とベリーダンスを見学 両替
ナイトクラブに向かうバスにて夕日を写す。
洞窟クラブで民族舞踊とベリーダンスを見学、期待はずれでした。
両替、セロテープでまとめてあるコインが大切、このコイン1個でトイレ一回
陶磁器工場 ドライブイン 魔よけの目
陶磁器の工場を見学、すばらしい製品がたくさんありました。
アンカラへ向かう途中のドライブイン
バスに張ってある目玉のマーク、トルコではこれが魔よけ、お守りだそうです。
アンカラエクスプレス アンカラエクスプレス アンカラエクスプレス
アンカラエクスプレスにて、イスタンブールに移動、2段ベットのコンパートメントスタイル、持参のウイスキーを飲み、よく眠りイスタンブールに無事到着、結構快適な旅でした。ちなみに朝の食堂車ではコーヒーは1杯だけ、チャイは2杯までお変わりできます。チャイは扱いが日本のお茶に近いのかも知れません。
早朝からブルーモスク、アヤソフィアを見学(詳細はイスタンブールのページ参照)、午後の飛行機でエジプトへ、またあの暑さのエジプトは嫌だなという人たちが多く私も同意見、しかし飛行機は何事も無くエジプトへ到着、夜8時過ぎに見慣れた5泊目のエジプトのホテル「ピラミッド パーク インターコンチネンタル カイロ」に到着しました。トルコで買ったお土産のチョコレートはガイド、添乗員ともにエジプトでは溶けてしまうかもと心配してくれましたが溶けずに日本に持ちかえることができました。

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