太陽と情熱の国スペインの旅

グラナダ
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グラナダへ ★アルハンブラ宮殿 ★アルバイシン地区 ヘネラリーフェ離宮 
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グラナダへ 9月11日(月)
スペインの人たちは時間をかけてゆっくりとお昼を食べていましたが、我々は1時間ほどで食事を終わり空港に向かいました。飛行機の中は全て有料とのことで、水一杯出ません。グラナダの空港につくと飛行機に直接タラップがつき降りそのまま飛行場を待合室まで歩いてゆく小さな空港です。
スペインは711年にジブラルタル海峡を渡って侵入したイスラム教徒の支配下に入りました。しかしキリスト教徒の反撃がはじまり、 1236年にコルドバが陥落すると、西イスラム王国の知識人職人たちは大挙してグラナダに移り住み1492年のカトリック両王による陥落まで、グラナダはスペイン・イスラム社会の首都として栄え781年にわたったイスラム支配の影響が色濃く残されています。グラナダ王国が滅び、イサベラ、フェルナンド両王がアルハンブラに入城したのは、1492年1月2日のことでした。西方航海の計画を却下され、フランスに向かってグラナダを離れたコロンブスを、イサベラ女王は急ぎ呼び返します。その年の10月、ひたすら西に航海をつづけたコロンブスは、ついに新大陸を「発見」しました。発見したスペインはラッキーですが、発見されたほうは悲劇の始まりであったことを教会に残された戦利品を見て再認識しました。
アルハンブラ宮殿 9月12日(火)
「赤い丘」と呼ばれる高台に建つ、スペイン・イスラム芸術の枠を集めた華麗な宮殿は、ありし日の華々しさを今に伝えています。宮殿は大きく四つの部分からなっています。王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ、ヘネラリーフェです。アルハンブラ宮殿はムハンマド1世が事実上の起工者となり、その後、20人の王によって増改築が繰り返された。有名なライオンのパティオは14世紀につくられました。矩形をしていて中央に12頭のライオンの彫像が支える噴水があり、124本の大理石の柱が並ぶ回廊に囲まれています。「TOP」
アルハンブラ宮殿全景 アラヤネスの中庭と北側列柱 ライオンの中庭
ヘネラリーフェ離宮より見た、アルハンブラ宮殿の全景、写真拡大マーク
アラヤネスの中庭と北側列柱、背後には高さ45mのコマレスの塔があります。アラヤネスとは池の両側に植えられている「天人花」のことだそうです。写真拡大マーク
ライオンの中庭、ここは王の寵愛を受けていた女性たちのハーレムです。全ての壁面に素晴らしい漆喰細工がびっしりと施されています。写真拡大マーク
メスアールの中庭の噴水 室内装飾 室内装飾
メスアールの中庭の噴水、イスラム教徒が住む地域は水に対する憧れが強い、豊かな水を持つことは富のしるしである。宮殿内のいたるところに噴水や池があり水音が絶え間なく響いていました。
偶像崇拝を禁じるイスラムでは、内装に人物の絵のかわりに幾何学模様が用いられます。二姉妹の間(写真右写真拡大マーク)の天井は八角形の天井には蜂の巣のように細密な鍾乳石飾り(モカラベ)が施されています。その他の部屋も漆喰、タイル、寄木細工などを使い素晴らしい装飾がなされています。「TOP」
アルカサバ バルタルの庭園と貴婦人の塔 カルロス5世宮殿
アルカサバ(城塞)、アルハンブラの中では最初に造られたのがこのアルカサバ(城塞)です。13世紀の建築で、最盛期には24もの塔や兵舎、倉庫、空堀に浴槽まで備えた堅困は要塞であったと言われています。
パルタルの庭園と貴婦人の塔。
19世紀、カルロス5世がスペイン帝国のシンボルとして、王宮の南側に隣接して建てさせたルネッサンス様式の宮殿、現在は夏に開かれるグラナダ国際音楽舞踊祭の会場として使用されている。当日もなにかの準備をしていました。
アルバイシン地区 9月12日(火)
アルバイシン地区
アルハンブラ宮殿から眺めることのできるアルバイシン地区はアラブ人が最初に砦を築いた場所でグラナダがキリスト教徒に奪回されてからはイスラム教徒たちの居住区となりました。アルバイシン地区は、アルハンブラ宮殿の北、ダロ川の対岸に広がっている地区です。ここは、グラナダの中でも最も古いとされている地区で、道路が複雑に入り組んでいてアラブの面影を色濃く残しています。アルハンブラが出来るまではこの丘の上にグラナダ王の居城があったと言われています。、この写真はアルハンブラ宮殿のバルコニーから写した3枚の写真の合成です。「TOP」
ヘネラリーフェ離宮 9月12日(火) 
アルハンブラ宮殿に隣接する噴水をそなえたパティオが美しいヘネラリーフェ離宮は13世紀に君主たちの別荘として建てられました。ヘネラリーフェとはアラビア語で『天の楽園』という意味だそうです。アラブの王たちが避暑地として、また王族たちが宴の場としたところだそうだです。 アルハンブラ宮殿の水は宮殿の下を流れるダロ河の上流から6キロの用水路を使い、一旦離宮の高台に設けられた貯水槽に溜められて、急流となって庭園の細い水路を流れていき噴水や池に使われています。王宮から向かう道筋には大きな糸杉並木があり、庭園にも生垣や並木道として糸杉が使われていました。この並木の花壇が荒らされている、聞くとイノシシが掘り返してしまうのだそうです。
ヘネラリーフェ離宮 アセキアのパテオ 糸杉のアーチ
王宮から見たヘネラリーフェ離宮写真拡大マーク アセキアのバテオ写真拡大マーク 糸杉のアーチ、
グラナダ市街のカテドラル お昼休みの車のラッシュ 白い家
「カテドラル」 グラナダ最大のキリスト教建築、16世紀前半から18世紀初頭に建設されまし。バスの中からの写真です。
スペインのお昼は遅い、14時15分ごろ食事のために自宅に帰る車のラッシュです。あまり働かないスペイン人もお昼の時間だけはキッチリと守るそうです。
グラナダからコスタ・デル・ソル地方への移動中の写真、白い家と青い空、乾燥した台地、このあと鍾乳洞を見学してからマルベーリャのホテルに入りました。写真拡大マーク「TOP」
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