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スプリットはアドリア海に面したダルマチア地方の中心都市です。港を囲む一帯にフェリーターミナルと遠距離バスターミナル、鉄道駅があり人気の観光地です。街の中心には世界遺産にも指定されている、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿があります。
ディオクレティアヌス宮殿は、ローマ皇帝ディオクレティアヌスが退位後の晩年を過ごすために建設した宮殿で、堅固な城壁で囲まれています。この宮殿は1979年には世界遺産に登録されています。この日も大型の客船が2隻入っており街は混雑していました。
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ディオクレティアヌス宮殿全体像 |
ディオクレティアヌス宮殿と鐘楼 |
ディオクレティアヌス像 |
絵のようにディオクレティアヌス宮殿は海から直接船付けして中へ入るようになっていました。したがって当時は現在の宮殿の前の大きな道路の下が水路の入り口でした。
ディオクレティアヌス宮殿の壁とスプリット大聖堂の鐘楼がの見えます。この周りや中は商店があり、世界遺産と商店が共存している状態です。
ディオクレティアヌスはローマ帝国の皇帝(在位284年 - 305年)で、彼は広大なローマ帝国の統治と防衛を単独で行うのは困難だと考え、東西にわけ統治さらに副帝ををおきライン川とドナウ川の防衛線の維持に当たらせテトラルキア(四分割統治、四分治制)を導入しました。305年、彼は健康を崩したこともあって退位し、アドリア海に臨むサロナ(スプリト近郊)に離宮(ディオクレティアヌス宮殿)を作って隠棲し、数年後にそこで亡くなりました。古代の歴代ローマ皇帝の中で、引退した例は彼のほかにはほとんど存在しないそうです。(ただし、ローマ帝国がキリスト教化されて以降は、修道院へ引退という例が多くなる)。その後、時代はビザンティン、ヴェネツィア、オーストリアなどの統治下で進み、宮殿は人々の住む町スパラト、そしてスプリトへと変容してきますが、人々が住んではいますが元の建物はかなりの部分が残されています。 |
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宮殿地下室です。このような宮殿の形で残されているのは地下だけです。この地下はゴミ捨て場として使われていました。 |
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ここに移動してきた民が古い壁を元に新しい壁を作り、増改築して住んでいたようです。 |
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宮殿ペリスティル |
スフインクス |
宮殿内 |
地下から地上に出ると、ペリスティルと呼ばれる中庭に出ます。この中庭周辺が唯一世界遺産らしいたたずまいです。ここにはエジプトから持ってきたスフインクスが何体かありましたが、この写真以外は全て首を切られていました。宮殿の内部は世界遺産を使ったマーケットです、住民が住み続けることにより維持されてきたこの宮殿なのですから住民を含めて世界遺産になっているのでしょうか? |
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北門はかつて「金の門」と呼ばれていました。門の近くではCDを売るため歌声が響いていました。何でもありです。
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ヴェネツィア、サンマルコ広場ににた建物と言われています。確かににています。 |
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グルグル司教像、左足の親指に触ると願いがかなうと言われ、足がピカピカでした。何処に行っても一箇所ぐらいははありますね。 |