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ピレ門 |
ポーカー砦、城壁 |
攻撃の跡を示す地図 |
この門は14世紀から16世紀にかけ作られました。ビレ門上部には街の守護聖人ヴラホの像があります。海側からの敵の攻撃を避けるだけでなく、陸側からの攻撃にも備えるためにさまざまな城壁、要塞、砦の構造が取り入れられており、それがほとんど残されています。城壁には夾竹桃の花が綺麗に咲いていました。 |
先の戦争で攻撃さらた場所を示す地図、破壊された跡は以前と全く同じように修復したそうです。 |
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オノフリオ大噴水 |
プラツァ通りとフランシスコ会修道院 |
薬屋さん |
噴水と言うより水のみ場と言ったほうが正解でしょう。1438年にナポリ出身の建築家オノフリオがピレ門とルジャ広場に二つの噴水を作りました。 |
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ピレ門を入ってすぐ、鐘楼の見える右側の建物はフランシスコ会修道院です。14〜15世紀に建てられ、現在の建物は1667年の大地震の後に再建されたものだそうです。フランシスコ会修道院の内部には薬局があります。創業1317年でクロアチア最古、ヨーロッパで3番目に古い薬局だそうです。 |
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スポンザ宮殿と時計塔 |
プラツァ通り |
時計塔の鐘 |
スポンザ宮殿は1520年に建てられ、1667年の地震の被害を受けなかった建物、宮殿の中には古地図や古文書が多数展示されてるそうです。 |
正面に時計塔、大型客船が何隻も入港すると大混雑になるそうです。 |
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時計塔は1444年に建てられたもので今でも現役で、鐘のそばでブロンズ製の鐘つき人が鐘をつきます。 |
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大聖堂は第13次十字軍から帰国する途中,嵐にあったイギリスのリチャード1世を助けたことから彼の援助の元に建てられたそうです。この時建てられたロマネスク様式の教会は1667年の地震で崩壊してしまい、現在の建物は1713年にバロック様式で再建されたものだそうです。大聖堂内部の撮影禁止を知ったのは写した後で、折角ですので掲載させてもらいます。。 |
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聖ブラホ教会 |
衛兵の交代 |
マーケット |
聖ブラホ教会は14世紀に建てられた建物が1709年に焼失したために、1715年にバロック様式で再現されました。ドブロヴニクの守護聖人ブラホに捧げられた聖堂です。ぶらぶらとショッピングを楽しんでいるとドラムの音が聞こえてきました、これはプラツァ通りを歩くクロアチア衛兵で、衛兵交代のため行進しているようです。旧市街を歩いていくとマーケットがありました、こういった街並みには必ずといって、この手のマーケットがあります。フリータイムには雨を避けコーヒーを飲みのんびりとした時間を過ごしました。雨の中城壁歩きをしてきた人も多かったようです。 |
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昼食のチキンは大変美味しかった。クロアチアのワインも結構美味しくて今回はビールよりワインをいただくことが多かった。ドブロヴニクら450km7時間かけてコレニツァに向かいました。夕食は肉料理でした。コレニツァでスーパに行きウイスキーをと言ったが無いと言う、致し方なく他の酒にして、ここにはウイスキーは売っていないと話したら他の人が買ってきたという、こちらではウイスキーでは通じず、スコッチと言わなければならないらしと言われました、残念?!!、でも酒には変わりは無くその晩は地元の酒を楽しみました。 |