★トルファン★ウルムチからトルファンへ ★火焔山 ★ベゼクリク千仏洞 ★アスターナ古墳 ★民俗舞踊・干しブドウ ★カレーズ ★交河故城 |
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★火焔山 | ||
トルファン盆地の北側に100キロにわたって連なる山脈、この山では日中、気温が40度を超えると辺りの地表温度は60度以上になり、赤いシワの山肌は陽炎で炎のようにゆらめく、「西遊記」でも孫悟空が鉄扇公主と戦ったとして有名です。冷房の効いたバスから降りると、身体全体がサウナに入ったように暑くなるが汗は出ない、いままでと少し違う暑さです。この近辺は昔の道が多く、それに沿って遺跡もいたるところにあるのだとガイドさんの説明がありました。 | ||
★ベゼクリク千仏洞 | ||
トルファン市から東へ50キロ。火焔山北麓のムルトゥク河の断崖に幅400メートル渡り掘られた石窟寺院。掘り始めたのは六世紀の麹氏高昌国に始まります。その後、唐・五大十国・宋・元のおよそ7世紀に渡る長い年月を経て、常に西域仏教の中心となっていました。現存する洞窟は57個、うち40個余りの洞窟に壁画が残っています。 ベゼクリクはウイグル語で「装飾された家」と言い、華やかな壁画に飾られた窟が多くありました。イスラム化後は壊されたり、残ったものは外国へ持ち出されたりしてしまいました。 残された中で名高いのは第39窟の「各国王子挙哀図」。挙哀とは、葬儀のさいに遺族などが号泣して悲しみを表すことであるが、この図には西域のさまざまな民族の姿、衣装、髪飾りなどが描かれていて、当時の風俗、生活を偲ばせます。写真撮影禁止のため壁画は資料より引用 |
ベゼクリク千仏洞 | 各国王子挙哀図 | 回鶻國王供養像 |
★アスターナ古墳 | ||
次はガイドオプションで訪れた、アスターナ古墳群です。トルファン市から東南40キロに位置し、4世紀から7世紀にかけてこの地に栄えた麹氏高昌国の古墳群です。墓の数は5百あまり、葬られているのは、多くは漢族の豪族で家族ごとに埋葬されています。全ての墓が斜めの参道と地中墓室を持っており、平面的には「甲」の字型に形成されているのが特徴です。ミイラが2体おかれてい墓室と、鳥と花の壁画が描かれていた墓室、戒めを説いた秤、玉人、金人、石人、木人の壁画が描かれていた墓室を見学しました。尚、写真撮影は禁止のため絵はありません。下の写真(4枚合成)はアスターナ古墳群の入り口にできた建物で、ガイドさんの友人が設計したとか言っておりました。塀の中は中国式の庭園?、この古墳とは不似合いな現代的なものでした。後方に見えるのは火焔山のようです。 | ||
★民俗舞踊・干しブドウ | ||
民俗舞踊の写真はお昼の時と、観光ぶどう園に行った時に見せていただいたものです。この地はブドウの産地で干しブドウやワインが有名です。ウイグル自治区ではこの他にハミの瓜、クチャの杏、コラルの梨など果物に恵まれています。観光ぶどう園で出されたハミ瓜は確かに美味しかった。両替した元が減らずに困っていたので、ここで一番高い「王の中の王」という名前で、2年に一度しか収穫できないという貴重な干しブドウを買うことにした。1キロ300元、1.5キロと袋を5個(無料)、日本円にして6750円、きわめて高い干しブドウで、ODAのつもりで買いましたが帰国して食べてみると日本で売られている小さな干しブドウとは違い、大きくて果肉が多く甘い大変美味しい干しブドウで、値段以外は評価は良かったと思います。 |
生演奏つきの民俗舞踊、食事をしながら見学しました |
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丸くて白い、種無しブドウという種類だそうです |
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★カレーズ | ||
この地は降る雨より、蒸発する量が圧倒的に多い、(16/3000ミリ)従って、それを防ぐには地下を通して水を運ぶ方法が考えられたのであろう、「カレーズ」はペルシャ語で「掘って水を通す設備」のことを言います。山麓に地下水を掘り当て、その水を村まで引いてくる方法は、2、30メートルごとに竪穴を掘り、それを横穴で繋いで水を通してくる。井戸は深い物で70メートル、長さは3キロ、最も長いもので10キロ、1200本のカレーズがあり、総延長は5,000キロにも達するといわれ、天山山脈の伏流水をトルファンまで引いてきます。中国で一二を争う乾燥地帯でありながら水路に水が溢れ、ポプラ並木が風に揺れ、ブドウの産地となっているのはこのカレーズがあるからです。観光用カレーズの中はそんなに暑さを感じませんでしたが、温度計持参者の話では外の気温は42度と言っていました。道路に触ってみましたが暑くて触っていられませんでした。 |
★交河故城 | ||
あまり早く行くと暑いのでとガイドオプションのトルファン博物館で、恐竜の化石やミイラを見学しました。今回の旅で何体のミイラを見たでしょうか。写真は撮影禁止のため絵はありません。交河故城到着は6時ごろ、まだまだ暑くてこれからこの遺跡を歩いて見学すると言うが身体が持つのか心配です。体力的に限界の来た人が数名見学を辞退、又途中で引き返してしまった方もおりました。 この城はトルファンの街から西へ10キロ。二本の河の交差するところにあるので交河故城と言います。この地は古代西域諸国の一つである車師前国の都で、車師前国の人々により、2000〜2300年前に築かれ、以降は幾多の支配者の手にありながら城は存在し続けました。現存するのは唐の時代と、それ以降のものです。交河城は世界最古の土造建築都市であり、建物の配置は唐朝の都長安にならったとされています。城はヤルナイズ河の中洲、30メートルの高さの黄土大地を掘りぬいて作られた半地下式の建物です。城内は長さ1650メートル、最大幅は300メートル、前後が細く船の様な形をしており、幅3メートル、長さ350メートルの大通りが南北に走り、その両側に崩れ落ちながらも土の建物郡が、住居区、官庁街、問、寺院区等に分けられ整然と配置されています。 |
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見晴らしの良い高台から全体の説明をうけました。この写真は展望台から右側を写した物ですが、何が写っているかは説明を受けたと思いますが記憶にありません。しかしそのとき起きたことは鮮明に記憶しています。この中の遺跡を保存するための警備は厳しいようで、我々が所定の場所以外で説明を受けていたところ遠くにいたお巡りさんがわざわざやってきてガイドさんに注意をしていました。観光客が我慢ができずにオシッコをしたところ1000元の罰金と言われ、交渉の結果500元を払ったという話も聞きました。日々風雨にさらされている遺跡を護るには容易ではありません、この遺跡もいつかは土に返ってしまうのでしょうか、それまで心無い悪戯で遺跡が傷つくことが無いよう頑張ってほしいと思います。 | ||
大佛寺、面積5100平米、この写真は右、中央、左の写真を合成した写真です。写真中央には仏像が入っていた窪み(左下拡大写真)があり、仏像の形が残っていますが、200ほどあった仏塔の仏像はほとんど盗まれてしまったそうです。城内の墓で最近、発掘調査が行われ同じ時期に埋葬された生後数ヶ月の赤ちゃんのミイラが300体も見つかったと言う話がありました。儀式が伝染病か原因は不明だそうです。長い歴史の中で喜び悲しみいろいろな出来事があったのでしょう。そのつどこの大佛寺にきて祈りをささげたのでしょうか。ゲルマン系の外国のご婦人が先ほど我々のガイドさんを注意したお巡りさんの写真を荒涼とした寺院を背景に撮っていました。平和な夕暮れですが、身体にまとわりつく暑さと戦いながらの見学です。 |
交河故城の模型、手前左の建物が休憩所のある、遺跡入り口です。両側が河になり、城は高い絶壁の上です。 |
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7時40分、見学辞退組みが待つ土産屋兼休憩所に無事到着、冷たいスイカをご馳走になる、これが又美味い |
市内に戻り夕食です。本日はヒツジの丸焼きがでました。見た目にはちょっとグロテスクですが美味しくいただきました。帰りのバスは風が強く、運転手さんはバスを真っ直ぐに走らせるのが大変だったようです。乗っていた仲間も怖かったと翌日話していました。私は出発からホテルまで2時間近くワインの酔いもあり熟睡していましたので知りませんでした。 |