暢遊シルクドード

クチャ
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クチャ ★塩水渓谷 ★キジル千仏洞  鳩摩羅什 スバシ故城 クズルガハ烽火台 クチャの家庭料理 クムトラ千仏洞 ウルムチへ
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クチャ 6月18日(土) (ホテル 亀滋賓館)
クチャは中国語で「庫車」と書き、古来から史書で「亀滋国 キジコク」として知られ、東西交易の中心地として栄えた天山南路最大のオアシスです。ここで生まれた西域の代表的な音楽が「亀滋楽」と呼ばれ琵琶、ハープ、ひちりき、横笛、簫(しょう)など多彩な楽器を用いたエキゾチックな音楽で、日本の「雅楽」のルーツと言われています。又名僧鳩摩羅什(くまらじゅう)生誕の地であり、玄奘三蔵もここに滞在した記録が残っているそうです。夜は涼しく、クーラーを切って窓を開けて寝ました。早朝にはイスラム寺院の独特の声や、ニワトリの鳴き声、カッコウの声などがさわやかな朝の空気とともに聞こえ心地よく目覚めました。昼の暑さと朝のさわやかさ、この差には驚きです。朝食はバイキングでなく現地料理で丸テーブルで全員一緒に食べます。料理は油と香辛料を使った野菜料理が多く、小麦粉をふかした饅頭、お粥などです。昨日は遅かったので今日の出発は10時です。昨日添乗員さんから「今日はバスは小型のバスになります」と説明があったのですが、昨日のバスが迎えに来ました。聞くと運転手が急に入院したとのこと、700以上キロも走った昨日の運転手さんには気の毒ですが、我々にとってはラッキーでした。安全運転でお願いします。トップ
塩水渓谷
塩水渓谷はクチャから60キロ、キジル千仏洞へ向う途中にあります。堆積地層がむき出しになった岩山の渓谷にあり、河の流れはわずかで、塩分がたまり白くなっています。暑さと乾燥のため、植物は川岸にわずかにあるのみ、渓谷の山々には姿は見えません。その山肌は異様で、この地は天竺を目指した玄奘三蔵(三蔵法師)が通ったといわれており、乾いた山々に向けてワァーと声を張り上げれば、堆積地層が崩れ、西遊記の妖怪達がうなり声をあげて襲いかかってきそうな、そんな渓谷です。砂漠に緑の帯がみえ、だんだん近づくとポプラ並木に囲まれたオアシス、遠くには天山山脈がうっすらと見えます。見渡す限り褐色の大地、その中に突然出現するオアシス、私には理解しがたい不思議な光景です。トップ
塩で白くなっている河 塩水渓谷 砂漠のオアシス
塩で白くなっている河 拡大写真マーク塩水渓谷 拡大写真マーク砂漠のオアシス
キジル千仏洞
亀滋国王興王后供養像オアシスを抜けてしばらく走ると乾燥した台地から想像できない大きな河が突然眼下に出現しました。クチャの西75キロにあるキジル千仏洞はこの、ムザルト河の北岸にあり後方はシンオイ・ダグ、前方はチョルタク山に囲まれた遺跡です。現在236窟あり、ほぼ完全な形で保存されているのは135窟、壁画が残されているのは80窟程度だそうです。この石窟は3、4世紀に造り始め、5、600年にわたり造り続けられ8世紀末ごろに放棄され始めたといわれています。窟の大多数は礼拝、講経など行う中心柱窟、その他に僧侶の住居である僧房もあります。壁画は釈迦の入胎、誕生等を描いた仏伝物語、仏様が説法している業績を表現する因縁物語、釈尊の前生の物語、いわゆる本生物語、例えば捨身飼虎、割肉貿鴿などが描かれているそうです。洞内の写真撮影は禁止のため洞内の写真は資料から引用したものです。内部は荒らされており仏像はありません、壁画も顔が削られたり金の部分が削られたりしており無傷のものはありませんでした。尚、この地を整備するための費用は日本からの援助だそうです。「拡大写真マーク写真 亀滋国王興王后供養像」トップ
ムザルト河 キジル千仏洞 洞内
拡大写真マークムザルト河 拡大写真マークキジル千仏洞 拡大写真マーク洞内
洞内の写真(右)の中央には仏像があったのですが破壊されています。両脇の奥にコの字型のトンネル状の回廊が巡らされており、この回廊を3度廻ってお参りするのだそうです。我々はお参りがてら持参の懐中電灯で内部の壁画を見学しました。外の暑さと比較すると洞内は大変涼しい、この地の人たちが岩をくりぬいて、あるいは土壁の家に住むということがわかるような気がします。
鳩摩羅什(くまらじゅう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)の坐像ポプラ並木を進むと、土産屋、トイレなどの設備の整った休憩所があり、その前に鳩摩羅什(くまらじゅう)の坐像があります。鳩摩羅什は国王の妹の子として亀滋国(現在のクチャ)に生まれ、7歳で出家し、9歳のとき母とともに天竺へ留学の旅に出たあと、小乗仏教、(自己の修行により自己一人のみが救われる)にたちまちにして通達し、やがて大乗仏教」(自己の修行により自他共に救う)に出会い、わずか12、3歳でそのサンスクリット語の厖大な経典の漢語訳を生涯の使命と決めました。国の滅亡、囚われの身として16年間の苦難ののち50歳のころ、こわれて長安に行き「般若経」「 法華経」「維摩経」などの大乗経典35部294巻におよぶ翻訳を完成させました。この漢訳経典なくしては現在の仏教の流布はありえなかったと言われています。トップ
スバシ故城
舎利容器キジル千仏洞で昼食を済ませ、一旦ホテルに引き上げ休憩、6時ごろ出発、スバシ故城は東に23キロ、市街から30分程、チョルタク山(確爾達格山)の南麓、広漠とした砂漠に乾いたクチャ河があり、その両岸に東西二つの寺院が建てられていました。玄奘三蔵が「大唐西域記」に記したチョグリ大寺(昭怙厘大寺)だと言われております。今回は西地区を見学しました。まわり全体が砂漠でどこまでが遺跡で、どこからが砂漠か見当もつかず、赤い日干し煉瓦の塊があるのみ、唐代には亀滋国最大の寺院だったという面影は歴史の中にしか見いだすことができないほど荒涼とした風景です。夕方の7時の太陽とは思えない強い陽射しに照らされた太古の仏教遺跡にスイカの原種といわれている白い花がひっそりと咲いていました。入り口付近に小さな土産屋があり、ひとしきり土産を買い求めクズルガハ烽火台に向いました。「拡大写真マーク写真右 1903年大谷探検隊が発掘した舎利容器(東京国立博物館蔵) 資料より引用」トップ
スバシ故城 スイカの原種といわれている白い花
スバシ故城(西地区) スイカの原種の白い花
クズルガハ烽火台
舗装道路をはずれ、河の中の道をしばらく走ると大きな塔が見えてきます。2000年の歴史を見つめてきた漢の時代の烽火台です。高さは16メートル、匈奴等との戦いの最前線での情報伝達のため当時5キロ毎にこのような烽火台がおかれ、西域都護府がおかれた鳥塁城まで続いていたと言われています。この歴史的な構造物もすごいのですが、その下の乾いた河(塩水渓谷)の深さや両岸の景観は又別の意味で驚きです。トップ
クズルガハ烽火台 烽火台の下を流れる塩水渓谷
クズルガハ烽火台 クズルガハ烽火台の塩水渓谷
クチャの家庭料理
8時過ぎにクチャの家庭料理をいただくため一般の家庭を訪問、杏の木の下に作られた食事の場所で車座になり食事をいただきました。お茶、乾し杏、乾しブドウ等とお菓子、ニンジンの千切り、ウイグルチャーハン、ラグ麺、ナンなどがでました。木の下は涼しく、虫もいないので快適な食事空間でした。ラグ麺、ナンは作っているところを見学もできます。杏が木から落ちてきたので食べたところ大変美味しい、それではとガイドさんが木に登りとってくれました。毎日山のように出てくるレストランの料理に少し飽きてきていたので、この企画は大変新鮮でした。トップ
この後、ナンとラグ麺が出ました 訪れた家庭の子供と従兄弟 中国標準時間10時の夕日
この後、ナンとラグ麺が出ました。 訪れた家庭の子供と従兄弟 中国標準時間9時40分の夕日
クムトラ千仏洞 6月19日(日) (ホテル 亀滋賓館)
中国名ラフマ・学名バシクルモンクムトラ千仏洞はクチャの北西30キロ、ムザルト河にある発電所のダム湖畔にあり、現在112窟の洞窟があります。この洞窟の内壁や外壁には僧侶の名前や言葉が古代文字で大量に記されており、これらはクチャの歴史文化を研究するうえで貴重な資料となっているそうです。しかしこの古代文字を訳すことのできる人はほんの僅かしかいないと説明がありました。五つの石窟が1つの回廊で結ばれている大変珍しい窟もあり、ここには玄奘三蔵が法話をした教壇もあります。しかし窟内は破壊されており保存状態の良い壁画は30余といわれています。朝9時にホテルを出発、30分ほどでダムに到着、ここからは馬車に乗り換えて15分ほどで遺跡に到着です。砂漠の3君子の1つ砂ナツメと現地名で「ラフマ」という可憐な花が熱砂の中を来た旅人を迎えてくれました。尚、壁画の写真は撮影禁止のため資料より引用しました。「拡大写真マーク写真の花は中国名ラフマ・学名バシクルモン」トップ
遺跡と水害から遺跡を護る堰 5つの石窟を結ぶ回廊の外と内 壁画、「左千佛・右菩薩列像
拡大写真マーク遺跡と水害から遺跡を護る堰
5つの石窟を結ぶ回廊の外と内
拡大写真マーク壁画、「左、千佛・右、菩薩列像」
ウルムチへ
ホータンからニア、タクラマカン砂漠横断、クチャ観光とお世話になった運転手さんにはここでお別れです。聞くところによればこれからカシュガル(距離740キロ)まで行ってお客様を乗せて案内するとのこと、結構キツイ商売ですね。昼食後、20数人程しかのれない小さな飛行機で、クチャ名物の杏を詰めた大量の箱と一緒にウルムチに戻りました。高度が低いため眼下に山脈が大きく見え、機体は気流にあおられてゆれにゆれスリリングな飛行でした。上空から見るとオアシスは人間の努力で砂漠との境界線を維持していると言うことがわかります。トップ
クチャ空港 クチャ空港を離陸直後 緑や赤い色の山の上を通過中
拡大写真マーククチャ空港 拡大写真マーククチャ空港を離陸直後 拡大写真マーク緑や赤い色の山の上を通過中

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