フランス魅力のすべて9日間
仕切り線
ルーアン・ヴェルサイユ

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★ルーアン
フランスの北西部、ノルマンディー地方、セーヌ川下流に位置する、ノルマンディー公国の首都として栄えたルーアンは、ローマ時代からセーヌ川を利用した水運の拠点として発展してきました。中心部にはモネの連作で有名なルウーアン・ノートルダム大聖堂があり、ジャンヌ・ダルクが処刑された地でもあります。
パリから電車で1時間半、この街は現在もフランス有数の都市であり、経済的にも重要な位置を占めています。
ルーアン・ノートルダム大聖堂 ルーアン・ノートルダム大聖堂
ルーアン・ノートルダム大聖堂
ルーアン・ノートルダム大聖堂は12世紀に着工し何度も増改築を繰り返し、ひときわ高い小塔は19世紀に造られました。フランス・ゴシック建築の傑作と言われています。モネが大聖堂の近くに住み光の移り変わる様を28点の作品に描いたことでも有名です。
ルーアン・ノートルダム大聖堂内部 ルーアン・ノートルダム大聖堂ステンドグラス
大聖堂内部、15世紀に造られた素晴らしいステンドグラス
ルーアンの大時計付きの門 ルーアンの大時計付きの門の彫刻
ルネサンス様式の大時計付きの門
16世紀につくられたルネサンス様式の大時計付きの門、月の満ち欠けを表示する球体があり、文字盤の下の絵で曜日も表示されます。時計は羊が先についた針が一本で時刻を表示します。アーチにはいろいろな表情をした天使の彫刻と羊の彫刻があります。羊の商売が盛んであったこと、羊がこの地の紋章であったので羊の彫刻があるのだそうです。
ジャンヌダルク教会 ルーアンの木組みの家
ジャンヌ・ダルク教会 ルーアンの木組みの家
英国との100年戦争の英雄ジャンヌダルクの火刑がおこなわれたビュー・マルシェ広場にある1979年に再建されたジャンヌ・ダルク教会です。
ルーアンの木組みの家、上の階に行くと前にせり出すように造られ、家が広く使えるのと、上からものを捨てるのに適している?今はせり出しては作れなそうです。
ビュー・マルシェ広場よりノートルダム大聖堂の小塔を望む、
ビュー・マルシェ広場よりノートルダム大聖堂の小塔を望む
ビュー・マルシェ広場よりノートルダム大聖堂の小塔を望む、尖塔は151メートルの高さがあり、フランスで一番高いそうです。
この街の印象は石造りのフランスの街並みと違い、ドイツに見られる木組みの街並み、左側の木組みの家は上層階に行くに従い少し前にせり出しているの感じがしませんか?
★ヴェルサイユ宮殿
ルーアンにて昼食、ヴェルサイユまで1時間、ここからは一人のガイドで案内出来る限度が25名のため、日本人のガイドと、フランス人のガイド2名での見学になります。フランスはこういった所でも労働者を保護しています。
この宮殿はもともと17世紀の国王ルイ13世が狩猟をする時に使う城として使用されていた建物でした。その後パリの治安の悪化や不衛生を嫌ったルイ14世の命により1661年に本格的な宮殿として建設が始まり、50年と言う歳月をかけ完成しました。その後、ルイ16世とその妃マリー・アントワネットが改築、、富と栄華の結晶ともいうべき宮殿となりました。
この宮殿には国をあげての莫大な費用がつぎ込まれ、贅を尽くした内装と広大で美しい庭園が大きな特徴となっていますが、貧しい国民の生活と正反対の浪費ぶりが反発を招き、やがてその不満がフランス革命へとつながっていきます。フランス革命の勃発により、当時の国王ルイ16世とその妻である王妃マリー・アントワネットはコンコルド広場で断頭台にかけられその生涯を閉じ、ベルサイユ宮殿は、その後初代皇帝ナポレオン時代以降、フランス歴史博物館として生まれ変わりました。
部屋数、展示品も多く、駆け足での見学で、写真もほんの一部しかありません。富の集中によりものすごい物が出来るのだなと言うのが見た後の感想です。
王の門
「王の門」、門の上にはルイ王朝の家紋である「百合の花の紋章」があります。
王の中庭
王の中庭のパノラマ写真、石畳が歩きにくい
庭園側から見たヴェルサイユ宮殿
庭園側から見たヴェルサイユ宮殿のパノラマ写真
庭園
庭園のパノラマ写真
手前の噴水は「ラトナの噴水」その奥にある、延々と続いているのがグランカナル運河です。ヴェルサイユには水源がなく、10キロ以上離れたセーヌ川から水を引いています。ルイ14世が自ら指揮し、約40年という長い歳月をかけて完成されたこの庭園は、フランス式庭園の最高傑作と言われています。
使節の階段
使節の階段
団体入口から入ると大きな大理石の階段があります。通称「使節の階段」と呼ばれ、造られたのは現代ですが、設計・デザインは当時のものです。
王室礼拝堂
王室礼拝堂
1770年5月、この「王室礼拝堂」においてルイ16世と14歳のマリー・アントワネットとの結婚式が行われました。
マルスの間 戦争の間
マルスの間 戦争の間
1682年まで衛兵の控え室だったことから「マルスの間」と言われるようになったそうです。マルスは、ローマ神話における戦と農耕の神です。
「ニメーグ和平]における軍隊の勝利」を称えた、「戦争の間」です。
鏡の間 鏡の間
鏡の間
平和の間から鏡の間を撮影
平和の間から鏡の間を撮影
1684年に完成したこの回廊は全長約73メートル、幅約10.5メートル。357枚の鏡がはめこまれていることから鏡の間と名付けられました。ここでは1871年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われました。第一次世界大戦後、ドイツとの講和条約であるヴェルサイユ条約が調印された場所としてもよく知られています。
宝塚歌劇、ベルサイユのばらではこの鏡の間のシーンが何度かあるそうです。
王妃の寝室 マリーアントワネットと子供達
王妃の寝室 マリーアントワネットと子供達の絵
王妃の寝室、、革命で破壊された後、再現されたマリー・アントワネットが最後に使用していた夏の内装です。
王妃の寝室の隣りにある「大会食の間」に飾られている赤いドレスを着たマリーアントワネットが子供達に囲まれている有名な絵です。
王妃付き衛兵の間 ディアナの間
王妃付き衛兵の間 ディアナの間
1789年10月の朝、宮殿に侵入してきた群衆からマリー・アントワネットを王の部屋に逃がすため、多くの衛兵がこの部屋で戦い、命を失った「王妃付き衛兵の間」です。
装飾はすべてディアナ女神の伝説のものでできている「ディアナの間」。ルイ14世はこの部屋でビリヤードを楽しんだそうです。
王の寝室 閣議の間
「王の寝室」ルイ14世はこの寝室で亡くなりました。 閣議の間
戴冠式の間 大理石の内庭とバルコニー
戴冠式の間 大理石の内庭とバルコニー
戴冠式の間にある「ナポレオン一世の戴冠式」の絵です。ルーブル美術館にもナポレオン一世の戴冠式」の絵がありますが、左側に立っている婦人のドレスの色が白で描かれています。(この絵はピンク)
フランス革命の時、「大理石の内庭」には群衆が集まり、国王夫妻はバルコニーに姿を見せる、マリー・アントワネットが怒りの群衆にお辞儀をしたというのが、2階の金色に輝くバルコニーです。
宮廷内部見た庭園の一部 宮廷内部から見た庭園の一部
宮殿内部から見た庭園の一部
6日目、ルーアンのレストランで昼食 6日目、ルーアンのレストランで昼食 6日目、ルーアンのレストランで昼食
6日目、ルーアンのレストランで昼食、名物の鴨料理です。
6日目、パリ近郊のレストランで夕食 6日目、パリ近郊のレストランで夕食 6日目、パリ近郊のレストランで夕食
6日目、パリ近郊のレストランで夕食、エスカルゴを食べました。

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