★パリ市内観光 |
最後のホテルはパリ中心部から地下鉄で帰れる場所です。室内も今回のツアーでは一番広く落ちついた部屋でした。ラディソン ブル ホテルでのパリ二連泊です。 観光最終日は午前中パリ市内を観光して午後からはフリータイムとなります。 フリータイムはオペラ座近くで解散しましたので、ショッピングと市内観光、シャンゼリゼ通りから凱旋門、セーヌ川クルーズと言うルートを楽しみました。一人を除いて我が家は皆還暦を過ぎており無理は禁物、のんびりと見学出来、素晴らしい一日でした。帰りの地下鉄では切符の買い方がわかず、そばにいたパリジェンヌに助けてもらい、駅名を確かめながら無事ホテルにたどり付きました。遅く地下鉄で帰ってきた人たちの中にはスリに合いそうになるなど怖い思いをした人もいたようです。 |
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シャイヨ宮から見たエッフェル塔 | ||
シャイヨ宮は1937年の万国博のために建てられたものですが、私たちは宮殿見学では無く、このテラスから見たエッフェル塔を見るためにやってきました。ここから見るエッフェル塔がパリ随一なのだそうです。 以降ツアーでの市内観光はルーブル美術館を除きすべてバスの中からの車窓見学です。 |
アンヴァリッド(廃兵院) |
パリ市内 |
凱旋門 | シャンゼリゼ通り |
シャンゼリゼ通り、中央の塔はコンコルド広場のオベリスク |
パリのノートルダム大聖堂 |
★パリ市内フリータイム |
免税店に案内され、そこでの買い物が終わると皆さん三々五々パリ市内に出かけてゆきました。ショッピングや食事も言葉が通じないのでなかなか大変でした。 そんなこんなで、お昼はラーメン、夜はスーパーでサンドイッチや飲み物を買い、ホテルで食べ、すませてしまいました。 私の友人も数週間前にフランスに行って、パリでラーメンを食べたと言っていました。パリまで行ってラーメンかと笑いましたが、結局私たちもラーメンになりました。ラーメンを食べていると何故かほっとした気持ちになったのは何故でしょうか。? これはあくまで私の感想ですが、ツアーで食べるフランス料理は普通の美味しさで、美味しい美味しいと言って食べるほどのものではありませんでした。しかし本格的なお店に行って食べていないので、フランスでのフランス料理が本当はどんな味なのかはわかりません。 パリ市内をぶらぶら歩いた感想は、本当に綺麗な街ですが、昔からの街に今も外観を変えずに住んでいるので、いろいろ不便だろうなと思いました。 |
オペラ座、世界有数のオペラとバレエの殿堂 | マドレーヌ教会、パリ唯一の古代ギリシャ風の教会 | |
コンコルド広場、中央の高い塔がエジプトから贈られたと言われている、ルクソール宮殿のオベリスク | ||
コンコルド広場 | ||
コンコルド広場はシャンゼリゼ通りの終点にあり、凱旋門、ルーブル宮殿、アンヴァリッド、マドレーヌ教会を四方に見ることが出来ます。この広場はルイ15世の騎馬像を飾るために1775年に完成、ルイ15世広場と名付けられました。しかし、フランス革命が起こり、騎馬像は取り壊され、革命広場としてギロチンが設置されました。ルイ16世、マリーアントワネットなど多くの人がこの広場で断頭台の露と消えました。その後、革命広場は、「調和」を意味するコンコルド広場と変わり、エジプトから贈られたルクソール宮殿のオベりスクが立てられ、その左右にはローマのサン・ピエトロ広場を模した噴水があり、フランス8大都市を象徴する女神像が置かれています。 | ||
コンコルド広場で出会った花嫁さん |
サクレ・クール教会 |
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秋色のシャンゼリゼ通り |
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有名店が並ぶシャンゼリゼ通り |
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凱旋門 |
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エトワール凱旋門はシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門です。この門はアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まりました。ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成しましたが、ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時でした。 凱旋門の屋上には螺旋階段(右の写真)で登りますが、階段数は、中2階まで284段です。その上に展示室があり、その上が屋上です。 |
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アーチの内側にはフランス革命や帝国時代に活躍した人の名前が刻まれています。 |
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凱旋門屋上からの眺め、街並みは高さ制限もあるのでしょう、緑も多く綺麗です。 | ||
凱旋門屋上からの眺め、凱旋門を中心に12本の道路が放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星」のように見えるので、この広場は「星の広場(エトワール広場)と呼ばれていました。そのため、この凱旋門は「エトワール凱旋門」と言われています。しかし、現在この広場は第二次世界大戦にてナチス・ドイツに占領されていたパリを解放したことで知られるシャルル・ド・ゴール将軍の栄誉をたたえ、1970年に「シャルル・ド・ゴール広場」と名称が変更になっています。 | ||
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パリの街並み、両側に路上駐車が、どこに行ってもこの状態は変わりません。自分のアパート付近に自分の車を停める場所はそれなりにルールがあるそうですが?。 |
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パリ・アメリカン カテドラル(大聖堂)の見える街並み、とにかく何処を撮っても絵にはなりますね。 |
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自由の炎、ダイアナ記念碑 | バドー・ムーシュ、クルーズ船乗り場 | |
1989年に仏米友好関係の証しにアメリカからフランスに寄贈されたものですが、記念碑の下のトンネルであの悲劇的な事故以降、ダイアナ妃を偲んで花束が絶えないため、ダイアナ記念碑ともなっています。 |
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セーヌ川のクルーズ船 | ||
セーヌ川は、川とその周辺の建築物を含めた一帯が、1991年に世界遺産として登録されています。その景色を船上から眺めることができます。私たちは予約なしで見学だけのクルーズに乗船しましたが、予約してフランス料理フルコースのクルーズもあります。船上での観光案内は数ヶ国語で行われており、日本語もあります。 | ||
アレクサンドル3世橋 |
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フランスのサディ・カルノー大統領とロシア皇帝アレクサンドル3世との間で結ばれた友好条約の証としてニコライ2世により寄贈され、1900年開催の第5回パリ万国博覧会に合わせて建設された橋です。この橋はアンヴァリッド広場と万博のために建てられた展示会場グラン・パレ、プティ・パレの間を結ぶように建設されています。 | ||
パリのノートルダム大聖堂 | ||
シテ島にあるノートルダム大聖堂は1163年に建設が始まり、完成は1345年と永い歳月をかけ建設されました。この大聖堂は1804年にナポレオン1世が戴冠式を行ったことで知られ、さらにはヴィクトルユゴーの「ノートルダムのせむし男」に書かれたことで有名になりました。残念ですが、内部の見学はしていません。 | ||
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ブルボン宮 |
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ルイ14世の娘であるブルボン公爵夫人のために建てられました。現在はフランス下院の国民議会が置かれています。 | ||
グラン・バレ |
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1900年の第5回パリ万博万国博覧会のために建てられた大規模な展覧会場・美術館です。 |
昼食 | 夕食 | デザート(マカロン) |