フランス魅力のすべて9日間
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ロワール・モンサンミシェリ

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★ロワール地方
ロワールは四季折々の花々やハーブなどが香る「フランスの庭」と呼ばれる地方、ロワール川流域には12世紀にアンジュー家が領土を守る城砦として築いた80を超える城が点在しています。14世紀になり、ヴァロワ家が受け継いで、その後、城が砦の役目を終えると、自然や狩りを楽しむための優美な城が作られるようになりました。
ここはまた、この国のルネッサンス文化が花開いた土地でもあり、ワインの産地としても有名です。
今回は訪ねることが出来ませんでしたが、ジャンヌダルクが活躍した、オルレアンもあります。
見渡す限り農地が続く車窓
見渡す限り農地が続く車窓
シャンボール城
雨の中のシャンボール城
この地域はどちらかと言えば、雨の多い地域とガイドさんも言っていましたが、今回のツアーでこの日だけ雨に降られました。リヨンを早めに出発してこの日が一番の長旅、途中、買い物がてらトイレを借りる予定のス―パでトイレを貸してもらえず、おまけにえらい剣幕でしかられ買い物もせずに退散、他のトイレを探すなどのトラブルがあり、昼食を食べてお城に着いたのは午後3時過ぎでした。きっと大勢のツアー客が毎回ろくな買い物もせずにトイレを使うのでいや気がさしたのでしょう。
シャンボール城は、城壁だけで周囲30kmの規模を誇るロワール川流域最大の城です。フランスのルネッサンス様式の建築の最高傑作と言われフランソワ1世が狩猟用の邸宅として建てたものを1519年に改修に着工、以後140年に渡り改修が続けられました。城の中心にはすれ違わずに上り下りすることができる二重の螺旋階段があり、この階段の設計は城の完成間際に死んだダ・ヴィンチの設計と言われています。
お昼を食べた街 ロワール地方に咲いていた花
左の写真はお昼を食べた街、以下の写真の花はロワール地方に咲いていた花、秋なので花は少ないですね。
ロワール地方に咲いていた花 ロワール地方に咲いていた花
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ロワール地方に咲いていた花 ロワール地方に咲いていた花
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ロワール地方に咲いていた花 ロワール地方に咲いていた花
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ロワール地方に咲いていた花 ロワール地方に咲いていた花
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シュノンソー城
シュノンソー城
ロワール川の支流、シェール川をまたぐよう建てられています。広大な庭園の中にある城、代々女性が城主であったため「6人の奥方の城」と言う別名があります。
アンリ2世の愛妾である、ディアーヌ・ド・ポワティエは、庭園とシェール川にかかるアーチ形の橋を付け加えました。しかし、アンリ2世の死後は本妻のカトリーヌ・ド・メディシスは妾のディアーヌを城から追い出し、橋の上に2層のギャラリーを付け加えました。
以後天井を白と黒に塗ったアンリ3世の妻ルイーズ・ド・ロレーヌ、フランス革命から城を守ったマダム・デュパンを経て、1863年に修復を手掛けマダム・ブルーズが城主になります。現在はムーニエ家の私有財産ですが、有料で公開されています。
お城の見学後は、ワインの試飲をして、小さなホテルに到着、今回のツアーでは一番長い距離を走ったのではないでしょうか。
シュノンソー城までの並木道 シュノンソー城
お城までの並木道 マルクの塔
大きな木が茂る城までの並木道を過ぎると大きな庭園の中に、お城が見えてきます。手前の塔がマルクの塔、修理中の城と橋の上のギャラリーと続く、16世紀にシュノンソー城を建てたトマ・ボイエはマルクの要塞を取り壊して城を建てましたが、この塔だけは壊さずに残したのだそうです。
本妻のカトリーヌの庭園 愛妾ディアーヌの庭園
本妻のカトリーヌの庭園、 愛妾ディアーヌの庭園、何故かこちらの方が大きい
城内よりシェール川 礼拝堂
城内よりシェール川 礼拝堂
本妻、カトリーヌ・ド・メディシスの寝室 愛妾、ディアーヌ・ド・ポワティエの寝室
本妻、カトリーヌ・ド・メディシスの寝室 愛妾、ディアーヌ・ド・ポワティエの寝室
シェール川にかかるこのギャラリ シェール川にかかるこのギャラリ
ギャラリー1階 ギャラリー2階
シェール川にかかるこのギャラリーは、この城の特徴です。1576年に正妻カトリーヌ・ド・メディチがお妾さんが作ったシェール川に架かる橋を改築し、ギャラリーを建てました。長さ60メートル、幅6メートルのギャラリーには18もの窓があります。
ルイ14世サロン フランソワ1世の居室
ルイ14世サロン フランソワ1世の居室
フランス国鉄シュノンソー駅(無人)とTGV 並木道の奥に咲いていた野生のシクラメン
お城近くのシュノンソー駅(無人)と通過するTGV 並木道の奥に咲いていた野生のシクラメン
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4日目の昼食 4日目の昼食 4日目の昼食
4日目の昼食は中華料理、ウエートレスの声の大きい、喧嘩を売られているようなサービス
ホテルにてポーク ホテルにてポーク ホテルにてポーク
4日目の夕食、ホテルにてポークメニューとあるが、この肉ポークとの声が?
★モンサンミッシェル
長いバスの旅を終え、トゥールの小さなホテルで一泊、今回の旅ではポ―ターがほとんどのホテルではいないので、各自荷物を持って集合です。ここからモンサンミシェルまで4時間かかります。到着後すぐにモンサンミシェルが見えるレストランでお昼を食べました。名物のオムレツは泡を食べているようで、そんなに美味しいものではありませんでした。しかし、観光地で、予約が沢山入っているのか、レストランのサービスと言うよりスピードは日本式で手順もよい、女性一人でテキパキと処理し、いらいらすることもなく予定より早めに食事を終えることが出来、見学時間をたっぷり取ることが出来ました。フランス人だってやれば出来るですね。
モンサンミシェルは、ノルマンディーとブルターニュの境界に位置する幻想的な小島、708年に大司教オベールが、大天使ミカエルの3度によるお告げで、海に浮かぶこの小島に聖堂を建立、966年にベネディクト派の修道院が設立され、何度かの増設を繰り返し16世紀に現在の姿になりました。あるときは要塞や牢獄となりながらも、1966年からは修道院とし使われるようになりました。現在でも何人かの修道僧がいるそうです。
山には平地がないため、山腹に建物を建て、それを土台にして建物を建てるという方法で積み上げられています。そのようにして建てられた修道院は3層からなっており、低層部で一般巡礼者を迎え、中層部で貴賓客や貴族をもてなし、上層部は修道士の生活の場となっていました。教会の塔の上には金ぴかの大天使ミカエルの像が取り付けられています。ちなみに、大天使ミカエルをフランス語読みすると「サン・ミッシェル」と言います。モンは山の意味でモン サンミッシェル、天使ミカエルの山と言う意味だそうです。
好天に恵まれ素晴らしい青空です
好天に恵まれ素晴らしい青空です
道路が工事中のため夜歩くときは蛍光色のチョッキを着て撮影に行きました。
道路が工事中のため夜歩くときは工事用の蛍光色のチョッキを着て撮影に行きました。
早朝、霧の中に浮かぶモンサンミシェル、バスの車窓より撮影
早朝、霧の中に浮かぶモンサンミシェル、バスの車窓より撮影
島に渡る道路をお城から見る
島に渡る道路と駐車場
この島渡る巡礼者は、引き潮の時に歩いて渡ったのですが、満ち潮の時に多くの巡礼者が潮にのまれ命を落としたそうです。現在ではご覧の通り、道路が作られ安全に渡ることが出来るようになりました。しかし、干拓事業とこの道路が潮の流れをせき止めてしまったため砂が堆積し、島の間際まで潮が来ることがななくなり、かつての海に浮かぶ姿を滅多に見ることが出来なくなってしまいました。その姿を取り戻すべく、道路を取り壊し橋を架ける計画が実行されているそうです。写真の奥の方で工事が始まっていると聞きましたが?
ちなみに、干拓事業で出来た牧草地で潮の混じった牧草を食べて育った羊は美味しいそうで、名物料理だそうです。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られています
島のまわり、潮が引い海
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られています。潮の満ち引きの差は15メートル以上あるそうです。引き潮の時間、この時間を狙い、島を一周するツアーがあるようで、何組かの人たちが潮の引いた海を歩いていました。
見渡す限り潮が引いています。しかし、聞けば上げ潮のスピードはものすごく速い、地元では、これを「馬の早駆け」と呼んでいるそうで、専門のガイドがいないとこの干潟に入るのは大変危険だそうです。
高速道路 王の門
高速道路 王の門
高速道路を一路モンサンミシェルへ、北に向かうと葡萄がとれず林檎を栽培して、リンゴ酒(シードル)が作られています。リンゴ酒を蒸留したのがカルバドスというブランデーだそうです。
島の入り口を過ぎて大通り門の次にある王の門。堀には跳ね橋がかけられており、修道院への城門として15世紀末に完成しました。門の上は市役所になっています。
グランド・りユー(大通り) プーラールおばさんの店
「グランド・リュー」(大通り) プーラールおばさんの店
お土産物店やレストランなどの並ぶ小路へと続きます。この「グランド・リュー」(大通り)と呼ばれている小さな目抜き通りもモン・サン・ミッシェルの名所の一つ。三つ星ホテルとオムレツ、ビスケット菓子のガレットで有名なプーラールおばさんの店もここにあります。
見学ルートは階段で最上階へ カブリエルの塔
最上階に上がる階段 カブリエルの塔
とにかく、階段を上がってゆきます。見学は最上階から下に降りてくるルートですから、登りはきついですよ。
眼下には潮の引いた海にカブリエルの塔が見えます。1524年に建造された城壁の一部で、防御のために大砲が置かれていたこともあります、19世紀より灯台となっています。
モンサンミッシェル最上部にある教会 教会内部
モンサンミッシェル最上部、教会の外部と内部
最上部教会テラスからの眺め
最上階の教会テラスよりのパノラマ写真
メルヴェイユの回廊 メルヴェイユの回廊、中庭
メルヴェイユ(驚異)の回廊
教会の聖堂の北側にメルヴェイユ(驚異)と言う別名の棟がありあります。その3層構造の居住空間の3階に造られたゴシック様式の回廊に囲まれた中庭があり、回廊の屋根は軽くするために木で造られています。
ここでは修道士たちが回廊をゆっくり歩きながら、瞑想したそうです。
修道院の営みは、たいていが、この回廊で全て用事が足りるように、食堂、台所、寝室、教会、書庫と通じていたそうです。
お告げを受ける大司教おベールの像 地下礼拝堂
大天使ミカエルの3度目のお告げお受ける場面 地下礼拝堂
708年に大司教オベールが、大天使ミカエルの3度目のお告げお受ける場面、目覚めるとミカエルが額に当てた指の跡が残り、夢では無いと信じ、建設が始まりました
地下礼拝堂に開けられた窓を見ると上層階を支えるために厚い壁で出来ていることがわかります。
聖マルティヌス礼拝堂? サン・マルタン礼拝堂?
荷物を巻きあげる車輪 荷物を積む台車
車輪 荷物を乗せた台車
この車輪はハツカネズミのように中に人が入ってまわし、台車に乗せた荷物を巻きあげるために使われました。モンサンミシェル全景の写真(ページTOP)の中央より少し左側に台車を乗せるレールを見ることができます。
騎士の間? ピエタ
騎士の間?、地下は上部を支えるため太い柱で造られています。
地下礼拝堂のキリストの亡骸を抱く聖母マリアの像「ピエタ」です。
剣と秤を持った大天使ミカエルの像 教会の小塔にあるのと同じ大天使ミカエルの像
剣と秤を持った大天使ミカエルの像 教会の小塔にあるのと同じ大天使ミカエル
大天使ミカエルは神の御使いとして「最後の審判」の時に亡者の魂を秤にかけ、天国に迎えられる者と地獄に落とされる者とを振り分ける役目をおっていると信じられていており、そのために剣と秤を持っています。(写真左)
又、大天使ミカエルは「天の軍勢の長」であり、疫病を流行させる悪魔を退治する者と信じられ、甲冑を身につけ剣を抜き放って、足下に悪魔あるいは悪竜を踏みつけている姿で現される事が多いのです。この像と同じもので金ぴかのミカエルがこの教会の小塔に飾られています。(写真右)
教会祭壇前のガラスの蓋 教会祭壇の真下の部屋にある丸窓
教会の祭壇の前の床に丸いガラス張りの窓があります。その窓を教会を支える太い柱のある地下(マルティヌス礼拝堂?)から見た写真が右の写真です。教会が地下の太い柱で支えられていることを観光客に証明するためか、他に何か意味があるのか、聞き洩らしました。
修道士の食堂 迎賓の間
修道士の食堂 迎賓の間
軽くするために木で造られた船底のようなアーチ型の天井の食堂、修道士たちはここで無言で食事をしていました。
食堂の真下に迎賓の間があります。王や貴族を迎えるための部屋です。ここには暖炉が二つあります。
モンサンミシェルで宿泊したホテルに咲いていた花です。殆ど日本にもありますね。
モンサンミシェルに咲いていた花 モンサンミシェルに咲いていた花
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モンサンミシェルに咲いていた花 モンサンミシェルに咲いていた花
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モンサンミシェルに咲いていた花 モンサンミシェルに咲いていた花
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モンサンミシェルに咲いていた花 モンサンミシェルに咲いていた花
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モンサンミシェルのホテルの部屋 モンサンミシェルのホテルの鍵
モンサンミシェルのホテルの部屋と鍵、鍵はモンサンミシェルの塔をイメージしたのでしょうか。
モンサンミシェルのお昼のオムレツ モンサンミシェルのお昼 モンサンミシェルのお昼
5日目、モンサンミシェルが見えるレストランで昼食、名物のオムレツは左の写真
モンサンミシェルの夕食 モンサンミシェルの夕食 モンサンミシェルの夕食
5日目、ホテル経営のレストランでの夕食、ウエーターが陽気でにぎやかでした。
レストランの窓から撮ったモンサンミシェル
レストランの窓から遠くに見えるモンサンミシェル、橋を架けるので工事をしているのかな?

モナコ・ニース プロバンス・アヴィニオン 矢印 ルーアン・ヴェルサイユ ルーヴル美術館 パリ・セーヌクルーズ 日程 ページトップ HOME