悠久の南米3カ国周遊13日間仕切り線 チチカカコ

リオデジャネイロ イグアス&ブエノスアイレス リマ&ナスカ クスコ&マチュピチュ 矢印 日 程 ページTOP HOME

写真拡大マークマークの写真をクリックすると拡大写真を表示
ユカイからプーノへ
ホテルを8時に出発、今日は今回の旅で最高地点ララヤ峠4338mを通ります。高山病になる人はこの峠でバスから降りられなくなるそうですが、私たちのグループは皆さん降りて記念撮影をしました。まわりには5000mクラスの山がそんなに高いと思えない姿で見えます。
アルパカを連れた子供が写真を撮らせていたの撮影しました。当然チップが必要です。今回のツアーでは300ドル持って行きましたが、現地の通貨には一切変えず、すべてドルで支払いました。チップ、トイレはドルで支払ったお釣りでなんとかなりますし、最悪は1ソル(1/3ドル?)で良いところを1ドル渡しますが、両替手数料が高いのでこのほうが得なのです。そのためには1ドル紙幣を沢山用意して行った方が良いでしょう。ちなみに、私は50ドル用意して10ドルぐらい余りました。お釣りは現地通貨になるので、それ以外もできるだけ小額紙幣で持っていくことをお進めします。
ところで高山病にかかると最悪はお医者さんの往診が必要になります、その時は300ドル程必要です。このお金がないとお医者さんに診てもらえません。海外旅行では土産なんか買わないから少ししか持っていかなと言う、私のような人も、最後に頼りになるのはお金、100ドル紙幣を3枚程、懐に忍ばせておいてと添乗員さんの話です。
最悪は旅行会社立て替え払いの書類を添乗員さんは持っているそうなのでサインをすれば見捨てられることはないようです。
家の屋根には魔除けが バスがパンク 赤い実
 家の屋根には魔除けが 写真拡大マーク突然大きな音がしてパンクです。落石を踏んでしまったそうです。修理に小一時間、のんびりと牛が通り過ぎます。  パンク修理中に撮影した赤い実 
列車の線路と高い山 ララヤ峠4338mの標識 土産を売っています
写真拡大マーク 列車の線路と高い山 写真拡大マーク ララヤ峠4338mの標識 土産を売っています 
気圧が低い アルパカと子供 トイレ休憩をした町
気圧が低いので甘納豆はパンパンで今にも割れそうです。。  アルパカと子供 トイレ休憩をした町
仕切り線  
墳墓シュスタニ遺跡には16時ごろ到着です。この遺跡はバスを降りて山の上まで少し歩きます。標高4000m、酸素が薄いので何人かはパスしました。私はここまできて高山病の症状も全く出ず息苦しさも感じません、せっかく来たのに少しは高山病の症状を感じたい、高山病もツアー料金の内と冗談を言いながら参加しました。しかし息苦しさもなにも感じません。
添乗員さんは途中で帰り、現地ガイドが英語で説明、私を除いて英語が分からない人はいないようです。説明が長くなり、あまり帰ってこないので補助ガイドが酸素ボンベを持って階段を駆け上がってくるころに山を降りました。
ホテルとバスには酸素が準備されており、使えるように訓練を受けた人がいます。
お墓はバスが停まった場所からも見えていましたので、すでに息苦しいなど高山病の症状のある人は危険を冒してまで登っていくこともないような気がします。
この遺跡はプレ・インカ、インカ時代に出来た墳墓です
この遺跡はプレ・インカ、インカ時代に出来た墳墓です
プーノ、チチカカコ、高山病を経験
プーノのホテルはチチカカ湖畔に最近建てられた新しいホテルです。夜の食事は消化の悪いものは食べない、お風呂、シャワーもだめ、濡れたタオルでふく程度、一晩寝れば高度になれるからスーツケースの整理や帰国の準備は明日の朝、起きてかにする、など注意がありまし。
しかし、元気なので大丈夫と思い、スーツケースの整理を始めました。部屋は寒いのですが、オイルヒーターしかなく暖まりません。立ったり座ったりが悪いと言うので椅子に座って、寒い中で整理していたのですが、突然悪寒と全身の震えが止まらなくなりました。寒い時に口ががくがくして歯が合わなくなるあの症状ですが、かって経験したことのない震えです。慌てて予備の毛布をもう一枚かけたベットに頭まで潜りこみました。潜っていれば震えはとまるのですが、何かしようとして身体が少しでも毛布から出ると震えが襲ってきます。2時間ぐらい潜っていたでしょうか、なんとかおさまりましたが、あまり熟睡もできずにうとうとしていると、同僚が風呂に入ると言う、やめろと言うのに入ると言うので、死んでも知らんぞと言い寝る。
朝2人とも生きていたが、私は頭が痛い、食欲は無い。手がむくんでいる。高山病の症状ですと添乗員さん。悪寒と震えの話をすると、「何故連絡をくれなかったんですか、その症状は酸素を吸って回復を待つ必要があったと思います」とのこと、おそらく血圧の低下で低体温になり震えが来たのだと思います。高山病になると血圧がさがるとは聞いていたのですが、こんな症状になるとは事前にカリスマ添乗員さんも言ってくれませんでした。
朝飯は持参したインスタント味噌汁にパンを浸して食べるのが精いっぱいでした。
チチカカ湖
チチカカ湖は琵琶湖の12倍、標高3890m、ペルー南部とボリビア西部にまたがる湖、汽船などが航行可能な湖としては世界最高所に位置します。この湖の中にあるウル族が住む、ウロス島を見学します。
ウロス島は土の島でなくトトラで出来た浮島の集合体です。この島の人たちは以前は魚や鳥を獲り、生活していたそうですが、今では観光や陸地に努めて生活する人が多いそうです。学校、教会、テレビもあります。もちろん電気は太陽光発電です。私たちが訪問した島は先日のNHKで放送した人に似ているので聞いてもらったらテレビに出た人たちでした。
ボート トトラ 島の中
ボートでウロス島へ、小さなボートでゆっくり走ります
トトラ、切り取るときは一番下からは切らない、次の芽が出ることを考え途中から切るそうです 
トトラの椅子に座って説明を聞く、高山病で立っているのはつらい
島の作り方 島の作り方 島の作り方
浮島を作るにはまずトトラの根をノコギリで切り取り運び込み土台を作ります。
土台をひもで固定してから、その上にトトラを交互に敷いてゆきます。 
その上にトトラで作った家や見張り台を置き、これで出来上がりです。トトラは傷んできたら上に次々に敷いて修復します。
島の作り方 歓迎セレモニー 島全体の風景
島は紐で固定されているだけですから、風で流されるとこともあるそうです。また気にいらなければ島を切り離して移動することもできます。 
日本の歌を歌ってくれました、色々な国の人が来るので各国の歌を歌えるように勉強しているそうです 
写真拡大マーク島全体の風景、トトラで作った小さな家です。まるで子供の遊び場のようですが、長い歴史がある生活空間です。
トトラの船 学校 販売するお土産作り
大きな船で隣の島へ移動、この船もトトラで出来ています 
小学校、フジモリ大統領が学校、病院を建てソーラシステムを贈った、ここではフジモリさんが一番人気だそうです 販売するお土産作り
帰国
朝は大変寒かったのですが、ボートに乗るころから気温が上がり、帰りのボートを降りると暑いという状態です。とにかく高所のため、夜と昼の気温の差が激しく、乾燥しているためいくら水を飲んでもおしっこが出ない。腎臓でも悪くなったかと思うほどです。喉もガラガラになり、頭も少し痛い、一番重い人はホテルで待つという予定でしたが、酸素を吸ったら良くなり、全員で見学ができました。しかし、お昼は空港近くのホテルで食べたのですが、一番重い人は昼の食事もできす、ホテルのソファーで寝ていました。そのホテルでは合わせて3人ほど寝ていましたが、相当悪くリマに我々が乗る飛行機で帰した方がいいのにと思う人がいたと添乗員さんが言っていました。最悪命を落とす人もいるそうですから、意識がもうろうとして来たらダメ、リマに直ぐに強制送還した方が良いようです。その時の費用は自前です。誰でも罹る可能性があるのですから、こういった面のがカバーされた保険に絶対に入っていないとこのツアーには参加できません。
潰れたペットボトル 土産 帰りの飛行機より
リマ、気圧が上がりつぶれました  チチカカ湖で売っていました 帰りの飛行機より
  仕切り線
フリアカの飛行場を飛び立つころには頭の痛いのは治りました。リマのレストランでは一番重い人も回復して食事をしていました。なんといっても久しぶりのビールは格別でした。添乗員さん、いままで言いませんでしたが酸素は平地の60%しか無い所にいたのですから皆さん大変でした、ところで高山病の症状が出なかった人はいますかとの質問に一人だけ手が上がりました。添乗員さんを入れて19人中一人だけです。その人の奥さんは一番重い高山病だった、旦那の分も引き受けた??!
リマからロスへ飛び、ロスでうどんを食べ成田へ、帰りは食事をパスするほど良く眠りました。行きのつらさは全くありません。これだから、また懲りずに海外に行きたくなるのです。
無事成田について解散、メンバーに恵まれ良い旅でした。
メンバーの中にアフリカに行った方がおり、アフリカは良いと言っていました。来年はアフリカも良いなと思っていますが?!!

リオデジャネイロ イグアス&ブエノスアイレス リマ&ナスカ クスコ&マチュピチュ 矢印 日 程 ページTOP HOME