悠久の南米3カ国周遊13日間仕切り線 クスコ&マチュピチュ

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クスコへ
リマのホテルを6時に出発、相変わらず飛行機の時間に合わせて早朝の旅立ちです。クスコは標高3360m、私にとって初めての経験です。弱い人はここですぐに高山病になってしまう人もいるとか、飛行機を降りて、何も感じないが、ゆっくり歩いて、大声は出さない、階段は登らない、スーツケースは持たないなどきめ細かな注意が事前にあったので、ゆっくり歩こうとするのだが普段の癖で、添乗員さんの言った注意はなかなか守れません。
幸い、息苦しさもなく、深呼吸をしながらバスに乗り見学にスタートしました。
クスコは1200年から1533年まで栄えたインカ帝国の首都だった街です。スペイン統治になり街並みはスペイン風に変わりましたが、インカ時代の美しく精巧な石組みと、スペインのコロニアルな建築物が融合した独特な雰囲気があります。
 高台から見たクスコ市街地 サクサイワマン要塞 サクサイワマン要塞
 写真拡大マーク高台から見たクスコ市街地 写真拡大マーク サクサイワマン要塞: 高さ5メートル、重さ360トンの石が置かれていることにびっくりします。 右の女性は現地ガイドさんです
カテドラル インカ時代からの石畳 12角の石
写真拡大マーク カテドラル:インカ時代の神殿跡にカテドラルを建設しました インカ時代からの石畳 写真拡大マーク12角の石、組み合わせた石に隙間が無い、すごい技術!!
サント・ドミンゴ教会 クスコ市街地 ペルーの国花カントゥータ
 写真拡大マークサント・ドミンゴ教会の裏側
インカ時代の神殿跡に建設した
クスコ市街地、渋滞中 、日本車が走っていました 
ペルーの国花 カントゥータ、ボリビアの国花でもあるそうです
ルマス広場とラ・コンパーニャ・ヘスス教会
アルマス広場とラ・コンパーニャ・ヘスス教会(左)、カテドラル入口より撮影の画像数枚を合成してパノラマ写真にしてあります。この写真は直線的ですが、実際は広場を囲むように丸くなっています。征服者スペインは神殿を壊しこの国の金目のものはすべて持ち去ってしまいました。
マチュピチュ
クスコでの時間は少なく、お昼をまともに食べている時間もありません。デザートは果物に変更してバスに飛び乗りました。ツアーの予定はオリャンタイタンボからマチュピチュ村間43kmを展望列車(ビスタードーム)で行く予定でしたが、今年の1月に発生した水害の影響でピスカクチョからマチュピチュ村までしか列車が走っていません。オリャンタイタンボからピスカクチョ間は鉄道会社が用意した小さなバスでの振替輸送になります。ピスカクチョからマチュピチュ村までは水害の跡が残る川を左に見て、ウルバンバ渓谷をのんびり走ります。軽い食事のサービスもあります。マチュピチュは川下にありますのでりで高度は2000mまでさがりますので高山病の心配はなくなります。
夕方5時ごろマチュピチュに到着、ホテルにて食事、ここは高度2000mですから、飲みたい人はお酒を飲んでも大丈夫、ここが最後のお酒、以降は禁酒です。
いったん高い所に行って低い所におりる、少しづつ高度を上げてゆく、これが高山病の一番の予防法だそうです。
ピスカクチョ駅、改札もホームもない 展望列車(ビスタードーム)
ピスカクチョ駅、改札もホームもない 展望列車(ビスタードーム)
写真右上の顔の写っている女性が現地ガイドさんです。このガイドさんは1月の水害の時は、マチュピチュ村にいたそうです。危険を感じることはなかったそうですが、とにかく救助されるまですることが無く暇を持て余したそうです。ヘリに乗る順番は女子供年寄りと弱い順にリストを作り、その順に運んだので、同じツアーでも助け出される日にちは違ったそうです。 
トレッキング半日コースのスタート地点 マチュピチュ村
半日トレッキングコースのスタート地点、マチュピチュに行くには車の通る道はなく、列車かトレッキングしかありません。インカトレッキングではポータ―、コック、テント付きのトレッキングもあります。
マチュピチュ村は川に沿って広がる温泉宿と言う感じです。川の両側は見上げるような切り立った山です。温泉もあるそうですが、あまり綺麗ではないと言う話。川の流れはアマゾン川に続いているそうです。
仕切り線 
マチュピチュ遺跡
マチュピチュ遺跡
マチュピチュ遺跡
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朝はわりとゆっくりでした。一番の列車が着く前にバスには乗りこみましたので最初のバスだったと思います。ホテルの料金は高いのですが地元に泊まっている強みです。ちなみに私たちのホテルは350ドル程度、遺跡前のお昼を食べたホテルは1000ドルと言っていました。
バスはガタガタ道を右に左に曲がり20分ほど山に登っていきます。以前は帰り道、カーブごとに山を駆け下り姿を見せ最後にバスに乗り込みチップをもらうグッパイボーイと言う少年たちがいたのですが、余りにも稼げるので教育上良くないと言うことになり禁止になったそうです。
村は2000mですが、遺跡は2280mです。遺跡入口で切符をもらい約30分ぐらい山道を歩くと遺跡ば見渡せる撮影ポイントに到着します。 早いバスで来たのでまだ遺跡には人があまりいません。
しかしなんでこんなところに作ったのでしょうか!!??
向かいの高い山にも登れます。参考までハイヒールでは登れません。トレッキングシューズとそれなりの経験が必要とのこと。
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尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。 マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。 「ペルー観光情報サイトより」
仕切り線 
見張り小屋と絶壁の山
見張り小屋と絶壁の山、この山にインカ道があります。インカは、険しい山中に、総延長4万キロもの道を築き、アンデス各地を結んでいました。
険しい山に一筋見えるインカ道
険しい山に一筋見える インカ道、どこに行く道でしょう。
マチュピチュ正門 天文台
マチュピチュ正門この門からインカ道へ続く  天文台 ?頂上に日時計があります
主神殿 三つの窓がある神殿
主神殿 (地震で少し壊れている) 三つの窓がある神殿  
太陽の神殿 陸墓
 太陽の神殿 、冬至に窓から朝日が差し込みます 陸墓 、ミイラが安置されていた
石臼の宮殿 コンドルの神殿
石臼の宮殿、空の観測に使ったのでは? コンドルの神殿 
コンドルン神殿 水汲み場
コンドルン神殿、コンドルの翼の形をした岩 水汲み場、水は何処から来るの 
段々畑 芝刈り機のかわり?、リャマ
段々畑  芝刈り機のかわり?、リャマ 
天文台にある日時計 聖なる石 ;職人の住まい
天文台にある日時計、この遺跡で一番高いところにあります。 
聖なる石?儀式の石?疲れて一休み、昨日クスコでテイクアウトしたバナナを食べ、栄養補給です。  職人の住まい?
家はすべて石作り、屋根は 石組 広場、畑?
家はすべて石作り、屋根は 石組  広場、畑?
;カリスマ添乗員さん マチュピチュのゲート ツバメ
 カリスマ添乗員さん マチュピチュのゲート  ツバメ 
スズメ? ウサギ? コカインの木
現地ガイドはスズメ?と言っていました、素晴らしい声でさえずり遺跡全体に聞こえます。 日本のスズメとは明らかに違います。 ウサギ? コカインの木です、コカの葉が入った飴や、コカの葉を乾燥したものなど売っていました。日本には持ち込めません。 
マチュピチュ村からユカイへ 
マチュピチュ遺跡の見学を終わり、一泊1000ドル?のゲート前のホテルでお昼をいただきました。遺跡の中は階段が多く、足の痛みがでて午後のインカ橋見学をキャンセルしました。幸い天気も良く写真も沢山撮りましたしので、午後もう一度遺跡に入る必要もありません。2時ごろパスに乗り、マチュピチュ村に帰ってきました。17時ごろの帰りの列車に乗れれば良かったのですが、指定席が取れず21時30分の列車になってしまったのです。土産屋を見たり、村の中を歩いたりと時間をつぶしましたが、小さな村の中、列車の時間まで時間をつぶすのは大変でした。国内旅行みたいに時間ぴったりと言うことは海外旅行では考えない方がいい、待つのはあたりまえ、でも退屈でした。
ハチドリ マイバビスカヤ 土産やさん
ハチドリ、花の蜜を吸おうと何度も飛んでくるのですが、道路のそばなので落ちつかづ、蜜を吸っている写真は撮れませんでした。
ハチドリがいたマイバビスカヤの赤い花、花の名前はブラジルの現地ガイドさんに聞きました。ペルーの名前は不明 
土産やさん、南米では土産を買おうとしても正札が付いていません。値段の交渉が面倒で買う気になりません。
ツル人参に似ているが色が違う? 街並み 広場
ツル人参に似ているが色が違う ? 街並み  広場 
流しのバンド ユカイのホテル リンゴの木
夕食を食べていると流しのバンドが、でもチップ1ドル取られました。
ユカイのホテル、山小屋のようでした。    
リンゴの木、実と花が一緒?
仕切り線
バスを乗り継ぎユカイのホテルに着いたのは深夜でした。小さなバスや列車にスーツケースはつめないので、一泊分の荷物だけ持ってスーツケースはリマからユカイのホテルに直送してありました。荷物を受け取りコテージ風の部屋に行くと部屋の中は真っ暗、電気のスイッチが分かりません。ここで添乗員さんの携帯電話の画面の明かりは懐中電灯のかわりになります、いつ停電になるかもしれない奥地のホテルですからマチュピチュに持っていく手荷物に入れておくようにと言うアドバイスが効きます。そんな馬鹿な、ホテルで停電、脅かさないでと思いましたが、カリスマ添乗員さん、南米は我が家のようなもの、なんでもお見通しです。携帯電話を出しその明りでスイッチを探しました。ペルーも奥地にきて都会のホテルのようにはいかなくなってきました。部屋は一階と2階の二部屋続き、ベットも三つ、広いがただそれだけ、とにかく寒い、オイルヒーターしかないのでそれをつけるが部屋は暖まらない。シャワーを浴びたが、お湯は出ない。風邪を引かないようにベットに潜りこむ、乾燥のためか少し喉がおかしい。

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