クスコでの時間は少なく、お昼をまともに食べている時間もありません。デザートは果物に変更してバスに飛び乗りました。ツアーの予定はオリャンタイタンボからマチュピチュ村間43kmを展望列車(ビスタードーム)で行く予定でしたが、今年の1月に発生した水害の影響でピスカクチョからマチュピチュ村までしか列車が走っていません。オリャンタイタンボからピスカクチョ間は鉄道会社が用意した小さなバスでの振替輸送になります。ピスカクチョからマチュピチュ村までは水害の跡が残る川を左に見て、ウルバンバ渓谷をのんびり走ります。軽い食事のサービスもあります。マチュピチュは川下にありますのでりで高度は2000mまでさがりますので高山病の心配はなくなります。
夕方5時ごろマチュピチュに到着、ホテルにて食事、ここは高度2000mですから、飲みたい人はお酒を飲んでも大丈夫、ここが最後のお酒、以降は禁酒です。
いったん高い所に行って低い所におりる、少しづつ高度を上げてゆく、これが高山病の一番の予防法だそうです。 |
|
|
ピスカクチョ駅、改札もホームもない |
展望列車(ビスタードーム) |
写真右上の顔の写っている女性が現地ガイドさんです。このガイドさんは1月の水害の時は、マチュピチュ村にいたそうです。危険を感じることはなかったそうですが、とにかく救助されるまですることが無く暇を持て余したそうです。ヘリに乗る順番は女子供年寄りと弱い順にリストを作り、その順に運んだので、同じツアーでも助け出される日にちは違ったそうです。 |
|
|
半日トレッキングコースのスタート地点、マチュピチュに行くには車の通る道はなく、列車かトレッキングしかありません。インカトレッキングではポータ―、コック、テント付きのトレッキングもあります。 |
マチュピチュ村は川に沿って広がる温泉宿と言う感じです。川の両側は見上げるような切り立った山です。温泉もあるそうですが、あまり綺麗ではないと言う話。川の流れはアマゾン川に続いているそうです。 |
|
|
|
|
|
|
朝はわりとゆっくりでした。一番の列車が着く前にバスには乗りこみましたので最初のバスだったと思います。ホテルの料金は高いのですが地元に泊まっている強みです。ちなみに私たちのホテルは350ドル程度、遺跡前のお昼を食べたホテルは1000ドルと言っていました。
バスはガタガタ道を右に左に曲がり20分ほど山に登っていきます。以前は帰り道、カーブごとに山を駆け下り姿を見せ最後にバスに乗り込みチップをもらうグッパイボーイと言う少年たちがいたのですが、余りにも稼げるので教育上良くないと言うことになり禁止になったそうです。
村は2000mですが、遺跡は2280mです。遺跡入口で切符をもらい約30分ぐらい山道を歩くと遺跡ば見渡せる撮影ポイントに到着します。 早いバスで来たのでまだ遺跡には人があまりいません。
しかしなんでこんなところに作ったのでしょうか!!??
向かいの高い山にも登れます。参考までハイヒールでは登れません。トレッキングシューズとそれなりの経験が必要とのこと。 |
|
尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。 マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。 「ペルー観光情報サイトより」 |
|
|
見張り小屋と絶壁の山、この山にインカ道があります。インカは、険しい山中に、総延長4万キロもの道を築き、アンデス各地を結んでいました。 |
|
険しい山に一筋見える インカ道、どこに行く道でしょう。 |
|
|
マチュピチュ正門この門からインカ道へ続く |
天文台 ?頂上に日時計があります |
|
|
主神殿 (地震で少し壊れている) |
三つの窓がある神殿 |
|
|
太陽の神殿 、冬至に窓から朝日が差し込みます |
陸墓 、ミイラが安置されていた |
|
|
石臼の宮殿、空の観測に使ったのでは? |
コンドルの神殿 |
|
|
コンドルン神殿、コンドルの翼の形をした岩 |
水汲み場、水は何処から来るの |
|
|
段々畑 |
芝刈り機のかわり?、リャマ |