雲南省歴史と少数民族を訪ねて!!

麗江
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昆明発、麗江へ 麗江古城、街並み 麗江古城、木府 玉泉公園 トンバ文字 交通と車窓
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昆明発、麗江へ 6月2日(金)
昨夜はホテルに着いたのは11時ごろ、成田で購入したウイスキーを飲み寝たのは12時を過ぎていただろうか、5時40分に集合のため4時に起きてシャワーを浴びのんびりと準備をする。シャワーからは何時でもお湯が出るヨーロッパのホテルより快適です。外はまだ暗い、日本との時差1時間遅れであるが位置的にはそんなものではないはず、暗くて当たりませであろう。昨日買ったペットボトルにホテルの部屋の大きなタンクからミネラルウオーターを補充して出発、早朝出発のため朝食は弁当、サンドイッチ、バナナ、ケーキ、水が箱に入っている。飛行機の中でもペットボトルが出るなどして、今回も水は最初の一本だけ買い後は買うことは無かった。麗江に着くと19人乗りのマイクロバスが待っており、観光の始まりである。我々を案内してくれるのは旅行会社の「ツアーディレクター」と雲南省担当の「ガイド」とその観光地を担当する「ガイド」の計3名である。7名に3名ついての旅行ですから贅沢な旅行です。現地の観光案内は「なし族」のお嬢さんが民俗衣装で案内してくれました。マイクロバスの後の座席にトランクを積み込み出発です。日差しは強いのですが高地のためさわやかです。TOPマーク
麗江古城、街並み
麗江はこの地域で生活する納西(ナシ)族独特の東巴(トンバ)文化の中心地で文化、歴史、街並みなどの文化遺産を持ち、1997年に世界遺産に登録されています。万年雪を頂く玉龍雪山から流れてくる清流、金沙江のほとりにある高原の町です。「大研鎮」と呼ばれる麗江古城は、南宋時代(12〜13世紀)につくられ、約800年の歴史があります。町の中は水路が網の目のように走り、300以上の石の橋があります。水路沿いには石畳の道や古い瓦屋根の木造の家が延々続いています。中国では古い建物が壊され新しく建て替えられることが多いそうですが、この地域も建て替えの計画もあったようですが、資金不足で話が進まずに古い町並みがそのまま残り結果としてその歴史的な価値が見出され現在に至っているとのこと、何が幸いするかわかりません。この地域の経済の活性化に大いに役立っているそうですが、反面、この街並みは一階は全てがお店で昔の生活を見ることの出来る状態ではなく、歴史や文化の香りを感じながら散策するには少し無理があるようです。出来れば一角だけでも手をつけずに昔のまま残っていればと思うのは私だけでしょうか!!
麗江古城内 麗江古城 四方街 ナシ族のご婦人
石畳が続く街並み、このような建物と通路が延々と続いている。街並みは古いがゴミなどは捨てられていないので綺麗です。
四方街、水路を挟んで大きな広場、水路には金魚などの魚が泳いでおり、ゴミなども浮いていません。
四方街の広場でお喋りをするナシ族のご婦人、後の花はブーゲンビリアンでいたるところに咲いています。TOPマーク
麗江古城、木府
麗江古城にある「木府」は宋朝末・元朝初(約800年前)に建てられた麗江「木氏土司役所」で「納西(ナシ)族の皇居」に当たります。木府は清の咸豊年間(1851年から1861年)に大部分が戦いにより破壊され、残っていた石碑坊も文化革命で破壊されてしまいました。1996年麗江地方政府は修復工事を行い現在の姿に復元しました。復元された木府も明代の中原の建築様式を受け継ぎ、また同時に唐宋代の飾り気のない雰囲気も残しています。木府内には水路が縦横に張り巡らされ、ペー族とナシ族の伝統的な特徴が見て取れます。納西(ナシ)族の姓は基本的に「木」と「和」の2つしか有りません。通常、皇居の周りには城壁を作るのが慣わしですが「木」の周りに城壁 (「口」はこがまえ)を作ると「困」という文字になり縁起が悪いため、木氏は城壁を作らなかったそうです。
木府内当時の会議の建物 王座 萬巻楼
当時の議会の建物 玉座 「萬巻楼」写真拡大マーク
古城内の水路と柳 麗江古城全景 萬古楼
城内は水と花と木と綺麗に整理されており、朱熔基首相もここを2度訪れており、大変気にいったそうでその後国家からの支援金額が増えたそうです。
少し長い階段を上り詰めると真下に麗江古城の全景が見えます。下の石畳の通路を歩いているのとは又違った印象です。写真拡大マーク
古城の北東、獅子山の上に建っている5層の「萬古楼」、この建物も世界遺産です。ここに行くには別料金が必要、下から望遠で撮影しました。写真拡大マークTOPマーク
玉泉公園(黒龍潭公園)

五鳳楼黒龍潭公園は象山のふもと、麗江古城の北端にあり、清の乾隆年間に地元のナシ族の人々がここに「玉泉龍王廟」を建て、乾隆帝が「玉泉龍王」を封じたことから、龍王廟とも呼ばれています。園内には龍神祠、得月楼、鎖翠橋、玉皇閣、また後にここに移された明代の芝山福国寺解脱林の門楼や五鳳楼、もともと役所だった明代の光碧楼、清代の一文亭、文明坊などの建築物があります。
五鳳楼は法雲閣とも呼ばれ、元は芝山福国寺にあって、1979年に黒龍潭に移された。福国寺は明代に建てられたが、もともとは土司(地方の支配者)であった木氏の別荘と廟でした。写真拡大マーク
公園内は木々が茂り、思ったより静かでゆっくり観光できました。TOPマーク

玉泉公園の絶景
トンパ文字、昼食、麗江の街並み
トンパ文化博物館 火鍋料理 広い道路
麗江ナシトンパ文化博物館は玉泉公園に続いており、説明員がドンバ文字などの説明をしてくれます。説明が終わるとセールスマンになります。
昼食にでた「火鍋料理」、鍋の下の台に炭火が入っている鍋料理です。担当のメイドさんが一生懸命サービスしてくれます。
新興住宅地でしょうか、新しい立派な家が並んでおり、道路の広さは片側4車線、飛行機が降りられそうです。TOPマーク
交通と車窓 
麗江で昼食後健康食品販売の店により2時ごろ大理に向け出発しました。約4時間のバスの旅ですがバスが小さいので良くゆれて大変でした。又道は日本で言えば国道程度のつくりですがこれが有料道路で度々止められ料金を払っていました。道には早い車と極端に遅い車が走っているためクラクションを鳴らしながら追越をかけるのですが、これが我々からすると冷や冷やの連続、対向車線に出て対向車が来ても諦めずぎりぎりで戻るため何度正面衝突かと思ったことか、これが日常だそうです。この国はまだ車優先の感じであり、横断歩道は余りありませんし、道路は広いので車が完全に途切れるのを待ってなどと言う悠長な構えはないようです。広い道路では何度も車の流れをかいくぐって横断するので我々から見ると命をかけた横断と言う感じです。ここ数年の間に飛躍的に車の数が増えたので交通ルールや歩行者保護のルールが追いつかないようです。
農村風景 三輪車のタクシー 移動用馬車
農村の風景、稲作が盛ん 三輪タクシー、スピードは遅い 移動用馬車
焼玉エンジンの様な遅い車 今回のツアー移動のバス 高速道路の料金所
焼玉エンジンの様な音の車、遅いがメインの道路でも悠々と走っています。
19人乗りのマイクロバス、今回移動に使ったのはこのタイプです。
高速道路の料金所、強盗が多いので中は太い鉄の棒で守られています。
省都 昆明市街 昆明・石林間の高速道路 麗江市街
省都、昆明市街 昆明から石林への高速道路 麗江市街TOPマーク

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