★昆明発、麗江へ ★麗江古城、街並み ★麗江古城、木府 ★玉泉公園 ★トンバ文字 ★交通と車窓 |
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★麗江古城、木府 | |||
麗江古城にある「木府」は宋朝末・元朝初(約800年前)に建てられた麗江「木氏土司役所」で「納西(ナシ)族の皇居」に当たります。木府は清の咸豊年間(1851年から1861年)に大部分が戦いにより破壊され、残っていた石碑坊も文化革命で破壊されてしまいました。1996年麗江地方政府は修復工事を行い現在の姿に復元しました。復元された木府も明代の中原の建築様式を受け継ぎ、また同時に唐宋代の飾り気のない雰囲気も残しています。木府内には水路が縦横に張り巡らされ、ペー族とナシ族の伝統的な特徴が見て取れます。納西(ナシ)族の姓は基本的に「木」と「和」の2つしか有りません。通常、皇居の周りには城壁を作るのが慣わしですが「木」の周りに城壁 (「口」はこがまえ)を作ると「困」という文字になり縁起が悪いため、木氏は城壁を作らなかったそうです。 |
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当時の議会の建物 | 玉座 | 「萬巻楼」 | |
城内は水と花と木と綺麗に整理されており、朱熔基首相もここを2度訪れており、大変気にいったそうでその後国家からの支援金額が増えたそうです。 |
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古城の北東、獅子山の上に建っている5層の「萬古楼」、この建物も世界遺産です。ここに行くには別料金が必要、下から望遠で撮影しました。 |
★玉泉公園(黒龍潭公園) | |
黒龍潭公園は象山のふもと、麗江古城の北端にあり、清の乾隆年間に地元のナシ族の人々がここに「玉泉龍王廟」を建て、乾隆帝が「玉泉龍王」を封じたことから、龍王廟とも呼ばれています。園内には龍神祠、得月楼、鎖翠橋、玉皇閣、また後にここに移された明代の芝山福国寺解脱林の門楼や五鳳楼、もともと役所だった明代の光碧楼、清代の一文亭、文明坊などの建築物があります。 |
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★トンパ文字、昼食、麗江の街並み | |||
麗江ナシトンパ文化博物館は玉泉公園に続いており、説明員がドンバ文字などの説明をしてくれます。説明が終わるとセールスマンになります。 |
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新興住宅地でしょうか、新しい立派な家が並んでおり、道路の広さは片側4車線、飛行機が降りられそうです。 |
★交通と車窓 | |||
麗江で昼食後健康食品販売の店により2時ごろ大理に向け出発しました。約4時間のバスの旅ですがバスが小さいので良くゆれて大変でした。又道は日本で言えば国道程度のつくりですがこれが有料道路で度々止められ料金を払っていました。道には早い車と極端に遅い車が走っているためクラクションを鳴らしながら追越をかけるのですが、これが我々からすると冷や冷やの連続、対向車線に出て対向車が来ても諦めずぎりぎりで戻るため何度正面衝突かと思ったことか、これが日常だそうです。この国はまだ車優先の感じであり、横断歩道は余りありませんし、道路は広いので車が完全に途切れるのを待ってなどと言う悠長な構えはないようです。広い道路では何度も車の流れをかいくぐって横断するので我々から見ると命をかけた横断と言う感じです。ここ数年の間に飛躍的に車の数が増えたので交通ルールや歩行者保護のルールが追いつかないようです。 | |||
農村の風景、稲作が盛ん | 三輪タクシー、スピードは遅い | 移動用馬車 | |
焼玉エンジンの様な音の車、遅いがメインの道路でも悠々と走っています。 |
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高速道路の料金所、強盗が多いので中は太い鉄の棒で守られています。 | |
省都、昆明市街 | 昆明から石林への高速道路 | 麗江市街 |