中国東北地方の旅

瀋陽
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瀋陽 ★瀋陽故宮 ★北陵(昭陵) 
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瀋陽 6月14日(水)
瀋陽は遼寧省の省都で、在瀋陽日本総領事館もあり、中国東北三省の中心都市として栄えています。近代的な都市であると共に歴史的、芸術的にも価値ある中国に現存する2ヶ所の封建帝王の宮殿建築群の1つである瀋陽故宮があります。瀋陽の歴史は古く、7200年前には定住集落があったことが知られています。その後はしばらく地域の地方都市的な位置にありましたが、17世紀初頭、サルフの戦いに勝利した満州族ヌルハチは瀋陽を占領して後金の首都としました。1634年には盛京と改称され、その後と名を改めた後金は1644年の滅亡後の中国を占領し、首都を北京に変更しますが、瀋陽は副都扱いを受け、1657年には奉天府と名付けられて多分に形式的ながら中央政府に準拠した官制がしかれました。現在でも市内にはその時の皇居・瀋陽故宮が残っています。1912年の清朝滅亡後は張作霖張学良らの奉天軍閥の拠点となり、1923年奉天市政公所が設置されて市政が施行され、1929年張学良によって瀋陽市と改称されたましが、駅を中心とする市街地の大半は南満州鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を把握していました。1931年満州事変によって日本の関東軍に占領されると、奉天に戻され、1945年の日本の敗戦後には再度瀋陽になりました。
長春のVIP待合室 2階建ての列車 瀋陽北駅
長春のVIP待合室 2階建ての列車、我々は一階です。この列車には中国人民軍の方が乗っており、筆談でお話をしました。 瀋陽北駅
瀋陽故宮 6月15日(木)
1625年に後金が遼陽から遷都したときに創建し、1636年に落成、清王朝が、北京に入場するまで王宮として使われていました。敷地面積は、なんと6万ku。太祖ヌルハチ、清の初代皇帝:太宗ホンタイジが、ここに住んでおり、康熙帝や乾隆帝なども北京からここへ行幸し、乾隆帝時代にに造られた建造物も数多くあります。当時は瀋陽でも奉天でもはなく盛京と呼ばれていました。 「TOP」
鳳凰楼 大政殿 崇政殿
三階建ての鳳凰楼は瀋陽故宮で最も高い建物で、ここでは皇帝たちの宴会が行われていたようです。
モンゴル族のパオをモデルにヌルハチによって建てられた八角二層の建て物が「大政殿」です。もとの名を篤恭殿と言いここで式典等が執り行われました。大政殿前には10の小殿が並んでおり十王亭と呼ばれています。十王亭は大臣達の執務室であり軍隊の詰め所でもありました。写真拡大マーク
瀋陽故宮で最も重要な建物が「崇政殿」。 日常の軍務、政務を行っていたところで、北京に遷都された後も皇帝がここへ来た場合には、いろいろな政務を行っていました。
北陵(昭陵) 

北陵は、中国遼寧省瀋陽市の市街地北部にある後金の2代目、の初代皇帝である太宗ホンタイジとその妻・孝文端皇后の陵墓です。北陵は瀋陽の中心部から北にあることからつけられた通称で、正式名称は昭陵といいます。陵墓、建築物などは現在でも良好な状態を残し、清朝初期の土木技術・建築文化の一端を知ることができます。2004年ユネスコ世界遺産(文化遺産)の明・清王朝の皇帝墓群の一部として追加登録されました。規模は清の関外三陵(他の二陵は東陵と永陵。)のうち最大。また現在、周囲は瀋陽で1番大きな公園・「北陵公園」となっており、自由な散策が可能です。城内は大変広いため、入り口まで電気自動車で移動します。

隆恩門 陵墓 城内
隆恩門 陵墓 城内

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